見出し画像

お粥のような、ノーベル賞受賞者の講演のような ジャン・ロンドーのゴルトベルク変奏曲

三鷹市芸術文化センター「風のホール」で、ジャン・ロンドーのゴルトベルクを聴いてきた。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

チェンバロ:ジャン・ロンドー
【使用楽器】ヤン・カルスベック2000年作(オランダ)のジャーマン・モデル(ミートケ・モデル)

先日のヴィギングル・オラフソンのゴルトベルクの記事でも触れたジャン・ロンドー。

サブスクでたまたまロンドーのゴルトベルクを聴き、衝撃を受けた。名前もそのときに知った。

今回もCD同様、100分の長さ。しかも休憩なし。マラ3か?😅

開演時刻の15時を過ぎ、客電はポゴレリッチのリサイタル並みに落とされた。

5分以上過ぎて、ようやくロンドーが上手から現れる。
はっきり覚えていないが、青いデニムのシャツを着ていたような。

私はちょうどロンドーの顔が見える2階バルコニーだったが、髭面のロンドーは修行僧のような険しい顔つきをしていた。
生で見たことはないが、ルプーのようだと思った。

チェンバロを弾き始める前にも長い間があったが、やがて弾き始めたのは冒頭のアリアではなく、ロンドーの即興だった。

2分くらいだったろうか。バッハの美しいアリアがこの世に生まれ出るまでの、雑然とした音が集合体となってやがて「音楽」を形作るまでを見ているようだった(それはまるで天地創造のようだった)。

結論から言うと、私は最初の方で飽きてしまった。
律儀に繰り返しを行っていたが、「律儀」以上の印象がない。要は変化に乏しい。

そりゃあ初演のときは聴いてない人が大半だから繰り返し聴いても新鮮だったでしょうけど、この曲を散々聴いてきた立場(他のお客もそうであったろう)からすると「ただのリピート」では飽きる。

ヘンデルのダ・カーポ・アリアは繰り返しのときに過剰なまでの装飾を施すが、そうした演出はなかったように思う。

演奏の長さに飽きてしまった理由は他にもある。

「音」自体に酔えなかったのだ。ひどく単調に感じられた。

私がチェンバロのほぼ真横のバルコニーで聴いていたせいもあるかもしれない。
左手で弾かれる低音部が高音部の粒立ちを消してしまい、音の粒が崩れた音楽はまるで“お粥”だった。

耳栓をして聴いているような感じもした。声部がクリアーに聴こえないから、変奏ごとのカラーの違いも感じない。
ハイドン嫌いの人がハイドンの曲ばかりノンストップで2時間聴くつらさとでも言おうか(私は好きですよ😅)。

その理由はホールにもありそうだ。三鷹市芸術文化センターの「風のホール」(25年前に沼尻竜典が指揮するトウキョウ・モーツァルトプレイヤーズを聴いたような気もするが、はっきり覚えてない😅)は木の内装で、温かく丸みのある残響が特色なのだろうと感じた。

高田泰治の平均律第2巻を聴いた東京文化会館小ホールは壁がコンクリート。

冷ややかなコンクリートに反響するチェンバロの音色は教会で聴くような厳粛さがあった。


東京文化会館小ホールでは舞台前方に陣取ったせいもあるのか、音の粒がクリアーに聴こえた。

やはり鍵盤楽器は音が楽器の蓋に当たって前方に行く仕組みだから、サイドとか裏側で聴くのは厳しいのかもね😂

ロンドーに話を戻すが、100分にも及ぶ長丁場で集中を切らしていると感じることはなかった。
黙々とチェンバロと向き合っていた。研究者のようでもあり、仙人のようにも見えた。

その反面、客席の集中力にはムラがあったような。
何せ客電が暗いから身体を捻じ曲げて寝ちゃってる人もいたし(私も前半でうとうと)、エレジーっぽい沈痛な第25変奏で何か引きずりながら会場から出ていくような異音が長いこと響いた。

ロンドーは変奏の切れ目で客席のそうした雑音を感知すると、すぐに弾こうとはせず、音が収まるのを待って弾き始めていた。

ゴルトベルクは通常、第15変奏のあとに休憩を入れる。
しかし全部で一曲なのだから、途中で休憩を入れるのは邪道といえば邪道。

ロンドーは「俺について来れる奴だけが至高のバッハを味わえる資格がある」と言わんばかりの孤高の境地。
それはまるでノーベル賞受賞者が同業者にしか通じない最先端の研究テーマを高校生の前で話しているようだった(私は脱落しちゃいました😅)。

開演前にトイレに行ったにもかかわらず、前半でトイレに行きたくなり、後半は我慢大会……😂

とにかく「長い!」から、日常生活の悩みについて頭を巡らせたり、気が散りまくり。

まあ、席のせいもあるのかもしれません。東京文化会館小ホールで聴いてみたかった気もします。

終演後は異様な静寂。さすがにこれだけ思い入れたっぷりの演奏のあとにすぐ拍手はできないよね😅

私はとにかく疲れてたのでわざとらしい?静寂に白けた気分だったが、しばらく硬直したままのロンドーが動き出すのを待ちかねた1階後方の客が拍手を始めて、すぐに大きなうねりになった。

サブスクで聴いたときの方が圧倒的に感動した。
チェンバロは音の強弱が出しづらい楽器だからただでさえ単調に聴こえやすい。

ホールとチェンバロの相性、聴いた席の位置、いろいろな要素があるのだろうが、私はひたすら長く感じて退屈してしまった。

おまけに高田泰治さんのゴルトベルクの感想を載せておきます。
私が初めてこの曲と出会ったアニメ「彼氏彼女の事情」のエピソードも書いてます😅

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?