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鑑賞マナーとは芸術に向き合う態度

私は以前から何度となく鑑賞マナーについて触れてきました。

3つも書いてたんですね😅

マナーのことを口うるさく書くと、さぞかし他人に厳しい人なんだろうなと思われるかもしれませんが、「他人に配慮しろ!」というよりも「そんな態度で芸術を鑑賞するの?」という気持ちの方が大きいです。

クラシックコンサートにおける鑑賞マナーの基本は、

①音を出さない
②身体を動かさない

これだけです。簡単です。

これを細分化すると

①→飴袋をカシャカシャ鳴らさない。大きな鼻息を立てない。喋らない。

②→身体を揺らさない。身を乗り出さない。リズムを取らない。

などになるのです。

基本は①②で、さらに

③隣の人に気配を感じさせない

もあれば最高です。この域まで達すると上級クラオタと言えるでしょう。

先日の「エウゲニ・オネーギン」では対照的な女性が私の両隣でした。

片方はコートや帽子や大きな荷物を持った人で、自分の席に収まりきらない量です。

冬場はコートがかさばるので、クロークに預けるのがスマートです。

反対の女性は上着は預けた状態で、上演中微動だにせず、物音も立てずに鑑賞されていました。
気配もほぼ感じず、上級オタの貫禄を感じたものです。

私はというと、座布団がペラペラなせいで前半でお尻が痛くなってしまい、身体をモゾモゾ。

何とか100分持ちこたえて、休憩中に係員の人に相談。1階のインフォメーションセンターで硬い座布団を貸してもらいました(2枚重ねにはしてないので、高さは変わってないはず)。

後半はお尻の疲れが減りましたが、隣の女性は煎餅座布団でもピシッと背筋を伸ばして鑑賞してるのだから大したものです😅

私は空腹時お腹が鳴りやすいですし、至らない部分も多々あるのですが、鑑賞マナー偏差値があるとすれば、高い方なのかな?と最近思うようになりました。

というのも、コンサートに来ている人の中には「音にならない音」まで聞こうとはそもそも思ってない人が少なくないのです。

「音にならない音」とは、演奏家が弾き出す直前の音や、残響が消えた直後の音。

実際には音はしてないのかもしれませんが、この世界に音楽という生きものが生まれたり消えたりする瞬間にはドラマがあります。

音楽好きな人たちはそこまで感じ取ろうとしているのです。

それなのに、リビングで寝そべってポテトチップス食べながらテレビを見る感覚で会場にいる人の何と多いことか。

東京文化会館小ホールでのテレマン室内オーケストラのコンサートでは、最前列に小学校中学年くらいの女の子と母親の二人組がおり、演奏中に母親がメモに何か書きつけては娘に見せたり、小声で話しかけたりしていました。

そういうことやって構わないんだと思って育つ女の子が気の毒です。

自分の鼻息の音に気付けない人もたくさんいます。

電車の中で鼻をすする音も私にはひどく不快ですが、本人は自分が出してる音は案外聞こえてなかったりします。

自分の鼻息の音も聞こえてないで何を聴いてるんだろうと思ってしまいます。

そういう人は何かに没頭しているだけで、全方位的に耳を澄ませているわけではないのでしょう。

私はクラシックコンサート以外にも、J-POPやジャズのライブ、演劇、歌舞伎、能・狂言、落語なども行くので、舞台芸術の出来が観客の鑑賞態度によって大きく左右されるものだということはよくわかっています。

舞台の上だけで完結してはいないのです。お客さんも含めて、芸術は成り立っています。

音楽家は音楽に真剣に向き合っています。それに比べて、何といい加減な態度でそれを見ている人たちの多いことでしょうか。

音楽家や他のお客さんに失礼、というのは当たり前ですが、私からすれば「芸術に失礼」だと思うのです。

そんな態度でいては、深い感動に達することは不可能です。

とはいえ、鑑賞マナーに関してはさまざまなすれ違いもありそうな気がしてきました。

例えば、飴袋。

そもそも、飴袋をコンサートに持ってきてる時点で問題です。

万一のときに舐めるため?

それならセロファン袋から出して握っておくか、ジッパー袋に入れ替えましょう。

演奏中に当たり前のように飴袋の音が響いてると狂気の沙汰としか思えません。

どうも、「咳を出す=最大のマナー違反」という思い込みがあって、「咳を出さないために飴を舐める=周りへのエチケット」と勘違いしているのではないでしょうか。

つまり、周りの人は「迷惑なヤツ!」と思ってるのに、本人は「周りに迷惑かけずに済んでよかった!」と思ってるのではないかと。

ここに、飴玉にまつわる最大の誤解の壁があるように思うのです😅

実際にはハンカチで口元を押さえて咳する方がはるかにマシです。

服の袖で口元を押さえてもいいです。

演奏中にあのセロファン音がどれだけ耳障りかを知った方がいいです。

どんなに一流の芸術家であっても聴き手が三流であれば、舞台上の作品は一流には仕上がりません。

結局のところ、雑な聴き手にはそれ相応のものしか与えられないのです。

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