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眼鏡の魔法、愛の明晰度

「眼鏡は人をかっこよくする」
普段眼鏡をかけていない人が眼鏡をかけているとギャップ萌え~、というような話ではない。

いつもの駅にいつもの時間に電車は到着した。そして、いつものように10分余った。
私はいつも、この10分間、目的の建物が一角にある土地を一周する。時計回りに一周。
ローソン、マクドナルド、コージーコーナー。タピオカ専門店には入ったことがない。石窯焼きのパン屋さん、銀行。酒屋さんの角を曲がる。この酒屋さんには私が唯一呑むことのできるお酒が売っている。スーパー、中華料理やさん、バクテー。バクテーとは「肉骨茶」と書く、マレーシアやシンガポールのソウルフードである。スペアリブなどの骨付き肉を、生薬とともに煮込んだしょうゆベースのスープのことらしい。店には一度食べに入ったことがあるが、体によさそうな食べ物だった。
そのバクテーやさんの角を曲がると、細い路地がある。焼き鳥、ファミリーマート、そして、いかにも「大衆酒場」という言葉が似合う、お酒がおちょこで5cmしか飲めない私には2mのハードルのようなその酒場の暖簾が見えると、もうすぐスタート地点に戻る。

4分前。上出来な方ではないか。携帯を取り出してSNSを見る。音楽を聴くこともある。

0分。意を決して、自動扉を搔い潜り、エレベーターのボタンを押す。下りてきた箱に乗り込む。目的の階のボタンを押す。先ほどまで光っていた画面を機内モードに設定しOFFにしたスマートフォンの黒い画面には、天井の無数の明るい球体が映っている。きもちわるい。

到着。いつものように出迎えるその人が今日はすこし違って見える。あれ??今日かっこよくない?

いつも恰好よいと言えば恰好よい人なのだが、今日は一段とイケメン度合いが増している。んん?なんだこの現象は。

いつも通りの時間が過ぎてゆく。いつも通りの場所でいつも通りの明るさの部屋。いつも通りの椅子、家具、棚の小鳥は今日もかわいい。いつも通りの、いつも通りの、なのに。その人だけがいつも通りではない。調子が狂う。なんかした?ほら、丁寧なフェイシャルケアを始めたとか、お洒落なシャツを着ているだとか。いや、そのあたりはいつも通りか。まあ、顔を見て話すわけでもなし。しかし、この違和感は。
いつも通り時間が過ぎ、いつも通りにエレベーターで下り、駅へと向かう。

いつもの駅にいつもの時間に電車は到着した。そして、いつものように10分余った。
今日も10分間の辺り一片一周の旅のお時間がやってきた。ローソン、マクドナルド、コージーコーナー。以下、略。
4分前。合格。いつものようにスマホを眺める。
0分。エレベーターで目的の階へと上がると、いつものように出迎えがいる。いつもの入口、いつもの場面。そこで先週の違和感を思い出した。
いつもの部屋に入る。いつもの明るさ、いつもの椅子に、いつもの小鳥。
先週の違和感を胸に、喋りだす。

「ねぇ、先週かっこよかったよね?」
(は?)
その人はそう思っただろう、いつもの、いつもの時間だったのだから。
「別に何にもしてなかったけど…」
「でも、かっこよかったんだよ!!なんで!?」
私一人が先週の恰好よさを思い出し熱狂し発狂し、葛藤している。相手は、はてさてこの子は何を言っているんだというような感じで、いつも通り冷静に隣の椅子に座っている。

(かっこよかったよなあ…どうしてだろう?)
考え込む私。隣にただ佇むその人の影が床に落ちる。
宙を見つめる私にニュートンのリンゴのように上から答えが落ちてきた。

「あああああああ!眼鏡、眼鏡かけてたよね?????」
「え、かけてない…よ?」
「違うよ!私が!」
「ああ、そうだったかな」

私は眼鏡をかけないと遠くのものが見えないが、かけなくても生活には支障がない程度の乱視なのである。そのため、子どもの頃は視力矯正に眼科にも通い、矯正用の眼鏡をかけていた。大人になってからはコンタクトにすることもなく、見えない時だけかける習慣になっていた。それが、前週はなぜか、たまには眼鏡でもかけていこうかという気分になり、眼鏡ファッションを楽しんでいたのである。彼が眼鏡をかけていて眼鏡フェチの私がイケメン過ぎる彼に沸いていたわけではなく、私が眼鏡をかけていたから、いつも恰好よいと思われるその人の恰好よさの輪郭がよく見えて、いつもより恰好よかったのだった。

「あ~すっきりした~」
「目、悪いんだっけ」
「うん、見えるけどね」
「そうなのか」
「でもさ、眼鏡かけると得だよね、先週かっこよかったもん、ずっとかけとこうかな」
「・・・」

こうして、私はニュートンのリンゴがごとく、眼鏡をかけて見ると恰好よい人はより格好よく見えるという法則を発見したのだった。

眼鏡をかけると真実がよく見える。そのうえで、相手が野獣だとしても、話してこの人だ、と思うなら、その人にとって最高の人ということではないだろうか。視力と愛の明晰度は比例するのかもしれない。

こうして、私の眼鏡着用率は上がった。眼鏡の魔法にもっと早く気がつけばよかった、と後悔しないでもないが、今では笑い話となっている。

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