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精神科看護師を辞めて作家になったわけ

私は16年間看護師として働いてきました。専門分野が精神科看護だったのは、自分自身も心の弱さを持っているからだったと思います。幼いころからずっと親から受け続けていた言葉と暴力の虐待。どこにも居場所がなかった青年期。それらが私の心を弱めていったのだと思います。

精神科の病気はいろいろありますが、どんな疾患の患者さんとでも、心を通じた会話が出来ていたたあの頃、私は幸せでした。「患者様を救いたい」という気持ちだけでひたむきに看護に打ち込み、充実した日々を送っていたからかもしれません。私と話して元気になってくれる患者さん。ここが私の居場所と思っていた私は精神科看護が大好きでした。

でも、それを捨て去らなければならなくなった頃、私は精神科医療に対する不信を強く持っていました。医療に不信を感じるのはなにも患者さんだけではないのです。医療者もそれを感じることがないのであれば、私は物書きなどにならず、精神科看護師を続けていたでしょう。「患者様のこころを救いたい」という単純で明快な私の願いが、病院というステージで叶え続けることができないと理解したとき、私と精神科看護の間に超えられない壁が出来てしまったのです。

こころの中に出来た壁は、私が越えることのできないくらいの高さの薄汚れたコンクリートでできいて、両端はどこまでも遠くにあるようでした。その壁にはスプレーでたくさん落書きがされていました。
『患者の気持ちなんてわからない』
『わかりたいとも思わない』
『死ぬ死ぬ詐欺だろ?』
『アピールだろ?仮病なんだから。』
目を覆いたくなるような言葉がたくさん並んでいました。
これが現実なんだ……。

私は様々な医療機関に所属していました。そしてどんな所でも「患者さんの心を救いたい」と思っている精神科医療者を数えるのに、指は5本も要らないと知りました。殆どの看護スタッフが患者さんを良くしようと考えていないばかりか、患者さんに関する聞くに堪えない悪口や患者情報をネタにした雑談を楽しんでいるのでした。そして時々ニュースになる患者さんへの暴力は、「興奮した患者を鎮静させる」という大義名分をもって行われることもあり、目を覆うばかりでした。

もちろん、患者さんを思う看護師がいないわけではありません。中には真剣に患者さんの病と立ち向かおうとする人もいます。しかしそういう人は、職場では異質な存在として浮いてしまいます。そういう理由もあってか、患者さんのこころの病と闘いたいと思って精神科に就職する人は少なかったのです。むしろ、精神科は外科や内科などに比べれば医療的処置が少ないので、楽だから就職した、という人も少なくありませんでした。

先述の通り「患者さんの心を救いたい」という気持ちだけで働いていた私は、この業界では異端児同然だったのです。なので、パワハラ・いじめなどにより居場所を失いました。健康なこころも失いました。そして、大切な精神科看護も失いました。これが私が精神科看護師を捨てた話の顛末です。

作家が精神科看護に取って代わることが出来るのは、人と文字を媒体として通じ合うからです。精神科において、医師や看護師の言葉は薬である、と言っても良いほど精神科の患者さんは医療者の言葉に気持ちや症状を左右されます。作家になれば、多くの人と文字を通じて通い合えます。もしその人がこころを病む人であれば、書物を通じて、私の言葉で人を癒せるのではないかと思い、思い切って作家への道を歩み始めたのです。

ここまで読んでくださりありがとうございます。私はこれから、人を癒す言葉の旅に出ます。旅の土産として、私の執筆したものにふれて頂き、少しでも癒しを得てもらえれば嬉しいです。

2024年1月15(月) 琥珀 流


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