生まれた所や目の色はともかく、皮膚の色でわかるものは多いという話

このニュース、パッと見ではとんでもない差別案件っぽく感じますが、下のツイートの人が連ツイで言ってるように、肌の色を見慣れていないと読み取れない情報がたくさんあって、診察が難しいことがそもそもの要因なんだと思います。

長らくプレミア価格が付いていて、今年めでたく文庫化された『ヒトの目、驚異の進化』という本は、まさにそういうことについて書かれているもので、人間の目が他人の「顔色を読む」ためにいかに色覚を進化させていったかが大変よくわかります。

人間が色覚を発達させた理由として、過去には、熟した果実を見分けるためとか、新緑の若葉を見分けるためだといわれていたらしいですが、本書を読むと「人間の顔色から状態を読み取るため」という説に圧倒的な説得力を感じます。

人間には、他人の様子がいつもと違う、具合が悪そうだ、といったことを微妙な顔色の変化で感知できる能力があります。

高度に発達した色覚によって、顔の内側を流れる血液の酸素飽和度と量を感知しているらしいのですが、その感知の仕方は、言われてみれば当然ながら、「基準色からの変化」なんですね。

つまり、我々の祖先は自分と同じ肌の色を基準=0として、基準色からの差異を感知することで他人の状態変化を読み取る能力を身に付けたわけです。

白人医師が白人を診るのであれば、普段見慣れた「基準となる肌色」からの変化量を感知すればよく、それは手に取るようにわかります。

しかし、白人が黒人を診察する場合、基準色がそもそも違うので、よほど黒人の診察に慣れていないと変化量を正確に読み取れないことになります。

だから診察が難しくなり、正常な色覚をもっていても、色覚異常の医師が診察するようなハンディキャップを抱えることになるわけです(尚、医師の間では常識らしいですが、色覚異常の医師は診察においてハッキリ不利になることが書かれています)。

日常的に白人を見慣れ、医学書でも白人の症例を見て学んだ白人医師が黒人を診察するというのは、ほんらい備わっている「肌の色の変化で状態を読み取る」能力を限定的にしか発揮できていない可能性が高いわけです。

今回、新生児の死亡率ということで非常にショッキングに受け取られていますが、肌の基準色が違うことを起因としたさまざまな軋轢が、その他の分野でも起こっていることは誰でも容易に想像できるでしょう。

なにしろ、肌の色が同じであれば伝わっている情報が、基準色が違うと伝わりにくいわけで、必然的にコミュニケーション不全が起こりやすい状態といえるのだから。

要するに、肌の色が違うということは、ブルーハーツが考える以上に根源的な差異であり、それを解消するのはなかなか困難で、同時に大きなコストもかかるということです。白人医師が正確な診察をするには、白人以外の多様な肌の基準色も把握せねばならないように。

白人新生児に関しては、医師の人種に関係なく死亡率は変わらないというデータがあるため、白人以外の医師はすでに逆のことを行なっているといえます。なので、マイノリティがすでに負っている負担をマジョリティも負うだけだ、という人もいるでしょう。リベラルの常套句ですね。

多様性社会というのは、すべての人々にマイノリティと同等の高コストを強いる社会ともいえます。普通に生活するうえで、複数の言語を操り、複数の肌の色の変化を感知する必要に迫られる。

それは、実際に恵まれているマジョリティから「恵まれている」という認識を奪い、マイノリティとして身に付けた特殊能力を無化する社会かもしれないわけで、良いことばかりではないでしょう。

なにしろ、同質性の高い集団で暮らし、そのなかで微妙な差異を読み取る能力を高めてきた人類にとって、多様性社会とは、これまでの進化の過程とはまるで違う能力を要求されているわけで、困難を前提としたものだからです。

ヒトという種が孕む困難さをポエミーな綺麗事で誤魔化すのではなく、きちんとシビアに理解するうえでも、読まれるべき一冊だと思います。

尚、本書で書かれているヒトの目の驚異的能力は全部で四つあり、ここで紹介したのは、そのうちのひとつに過ぎません。ヒトの目の進化について突き詰めて研究し、おそろしく精緻な論に仕上げてあるので、腑に落ち感がハンパないです。

進化心理学なども盛り上がってますが、「進化」について徹底的に考察した文章を読むことで視界がクリアになる感覚ってありますよね。ああいうのが好きな方は読むといいと思います。

以下はおまけ文章です。大したことは書いてないですが投げ銭感覚でどうぞ。

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