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繋がるということ

SNSは多くの人との出会いがある。
日常の中では出会わない人...例えば住んでいる場所が遠かったり、年齢・仕事などが違うために接点がない人とも、ネット上は簡単に繋がれる。

私はTwitterが主にそんな場所になっているけれど、繋がるということには慎重になる。なかにはフォロワー数が多いことがSNSの醍醐味と感じる人もいるし、その都度思ったことをそのまま呟く人もいる。SNSの使い方は反社会的でない限り決まりはないと思うので、其々自分の思うやり方が正しいし自由だ。

「たくさんの人と繋がることで自分の世界が広がるのです。自分から視野を狭くしないで」と言う方もいるけれど、それもいいのではないかと思う。自分に合っていれば。ただ、それを一般論として人に説くのはいささか早計ではないかと思ったりもする。

私は温かみのある繋がりが自分に合う使い方なので、その人の呟きを追えるかどうかが大切な点になる。あまりに1日のツイートが多いと追えない。もっと気楽に楽しんだらと言われそうだが、TLが交流のない人のツイートで溢れると疲れて楽しめないのだ。

慎重にフォローした方でも、繋がった途端に交流がなくなる方もなかにはいる。こういう何気ないところにその人の生き方がよく表れるのだろうと私は思っている。

ところで昨年の入院中に私はnote上で、ある方との出会いがあった。ヘッダーの写真を撮られたかたなのではないかと思い、今回使わせて頂いた。写真を選んでいたところ、その方の撮られる美しい写真によく似ているなぁと惹かれたのだ。

出会いとは不思議だ。私のような小さな存在を見つけてくださりフォロー頂いた。あまり多くをフォローされていない方なので、驚きと共に、感じ方が似ている方なのかな...という気がしている。
その方が過去のnoteを読んでスキしてくださる度に、病院のベッドの上で弱っていた心と体は励まされてきた。
あの時からこれまで言えてなかったけれど、このnoteであなたにお伝えしたい。

「ありがとうございます。あなたのアイコンの通知が来るたびに、そしてあなたの撮られた自然の美しさにいつも勇気づけられていました」と。

顔も年齢も、性別すらわからないけれど、人は心で繋がれるのかもしれない。そしてたくさんの出会いの中でそう思える人達と巡り会えたということに感謝している。


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