見出し画像

もう締め切りに追われたくない!縄文人は締め切りってあったの?

「それ早めに言ってよ~」
誰もいない家のなか、PCの前で大きく叫んだ。

何年か前の話。
ある案件の相談ということで上長からの招集がかかった。
「この目標に到達するにはキャンペーンするしかない。2週間後に。予算は何とかする」
「え、2週間後とかいけるの。何とかしないで~」と、喉まででかけたが、そんなことはもちろん言えず「わかりました。関係各所と調整に動きます」と優等生回答。

それからの毎日は記憶がない。
急いで関係各所に連絡をしまくり、ガントチャートの記載事項をこなしていったと思う。
真っ白の壁を見ながら、死んだ目でキーボードをたたいてると1本の電話が。
「こはるさん、クリエイティブなんですが審査早めにしたくて、17時くらいにもらえないですか」
「え、お時間っておっしゃってましたっけ。今日の17時ですか」
「来週配信なら早めに審査したいってことで、宜しくお願い致します」

いやいやいや!
まず質問に答えてないし!
しかも、そもそもデザイナーに謝り倒して、明日中にクリエイティブを作成してもらうようにお願いしたばかりだ。

そして、なんだその態度。
「遅れそうなんで、予約時間30分後ろ倒しにしてもいいですか」
と、同じテンションじゃないか。
こっちはお店じゃないんだよ!あんたもこのプロジェクト仲間じゃないのか。

相手への怒りがだいたいおさまったところで急に虚しさに襲われた。

時間に追われている生活って幸せなのか。
もう締め切りに追われない生活を送りたい。
現代において締め切りがない世界線ってあるのだろうか。
仕事以外でも〇日までに回覧板をまわさなければならないことや友人に結婚式の回答を〇日までに伝えなければならないなど、誰かと関係性がある限り避けることはできない。

キャパオーバーになったわたしは、
「おつかれさまです~!いきなりすみません。縄文人って締め切りあったんですか」
という質問を知り合いの学芸員さんに送っていた。
質問の背景も書いていない超失礼な質問に対し、
「『分からない』が答えになります…!でも、視点がめちゃくちゃ面白いです」
自信を失っていたわたしに光を差してくれた。

恐らく縄文時代に締め切りがあるとするならば「祭祀の準備」だろう。

縄文時代の祭祀とは

伊豆市大塚遺跡(旧修善寺町)には、普通は床に何もない竪穴住居の集落内に、特別に炉の周囲や入口付近の床に大型の列石を伴う敷石住居があった。入口付近からは複数の石棒も発見されている。単なる住居というより集落内で祭りを行う集会所のような場であったと考えられる。(中略)男性を象徴する石棒に対して、土偶は女性の人形で、土中から身体のどこかが欠けて発見されることが多い。(中略)女性の人形を故意に壊して土中に埋めていたならば、身代わりを傷つけて逆説的に女性や雌の安全を祈り、生命の誕生、大地の豊穣を期待する祭りに使われたとも考えられる。

3 いろいろな神様から農業の神様へ

「5月に祭祀あるから準備しなきゃ、どうしよう」
と、わたしみたいな縄文人もいたかもしれない。
そうすると「祭祀の日までに間に合わせる」という締め切りがあったことになる。もっと言えば「祭祀は5月〇日やから、3日前までに飾り付け含め完成しなければならない」など、あったかもしれない。

いや、待てよ。
自然のリズムで生きている縄文人が「締め切り」を意識しているのは、どうもしっくりこない。

医療が発達していない、縄文
もちろんお天気レーダーなんてない、縄文

予測もできないこの世に対して「祈る」という行為が身近だった。
その際に祈る道具として、土偶や石棒などがあったと言われている。
祭祀のために準備しなくても必要なものはすでにあったのではないか。

いつ祭祀を開催するかも人間の都合ではなく、たとえば月の満ち欠けなど自然に合わせている可能性もある。

祈る準備はもうできている

ということか。

そうか、わたしは心の準備ができていなかったのだ。
キャンペーンをすることばかりに目が向き、案件の目的を見失っていた。
上長に言われるまでもなく目標を達成するためにベストを考え抜かなければならなかったのだ。

仕事できる準備はもうできている

縄文人のようにかっこよく生きていくぜ!


この記事が参加している募集

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?