12月30日 地下鉄の風【今日のものがたり】
地下鉄の階段をふたりでおりていた。
「風が吹いても博くんの髪って乱れないんだね。いいな」
優しく微笑む彼女の髪はけっこう乱れていて、でも、それすらも愛おしく思えた。それから数年後、とある理由で伸ばしていた髪を私はばっさり切った。そうすることで踏ん切りをつけたかったのかもしれない。実際は床に落ちた髪を見て、むなしさだけが心に残った。
それでも日々は容赦なくすぎていき、取り残された気持ちから少しでも離れたくて僕は、地下鉄に乗って映画館へ足を運ぶようになった。駅を降りても風が吹いていた。
個人経営の小さな映画館をあの頃どうやって見つけたのか、未だによく思い出せない。もしかしたら彼女が見つけてくれたのかもしれない。
「大人二枚で」
そう言っていたのは10年以上も前のことなのに、今でもまだ窓口でそう言ってしまいそうになる。いや、言っても別にどうということはないのだ。館長は知っている。私が今はひとりで、なのに二枚買おうとしてしまう理由も。
上映作品はいつもひとつ。二週間で切り替わる。ごくごく稀に新作を上映することもあるが、たいていはこんな(と言ったら語弊があるかもしれない)作品をどこから発掘してきたのだろうというぐらい見知らぬ映画を流している。
年末年始をまたいで上映される映画はどことなく特別感がある。今年と来年をつなぐ何か、そういうものを感じさせる不思議な力のある物語だった。楽しかった。観客は私ひとりだったけれど。
「よいお年を」
館長へそう告げること。来年の今日、小晦日にここへ来ることが私の一年の締めくくりになっているのかもしれない。
どんな内容の映画でも、館を出たあとの風を浴びると私の心は幾分晴れやかになる。幾分で充分なのだ。今年もそうなるはずだった。なのに、映画に出てきた俳優がどうにもあいつに似ていて頭から離れない。最近、私の思い出に何かと絡んでくる、上司で同い年の南川に。
新年あけたら話してみるか。あいつは確か、私より映画を見るやつだからな。今日見た映画のことも知っているかもしれない。
そう思いながら私は地下鉄の駅へ向かう。風が吹いている。
「髪、やっぱり乱れないのね」
微笑む彼女の気配を感じた。会えるのは1ヶ月後だよと思いながら、私は階段を1人おりていく。
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