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2023年の目標は「がんばらない」に決定


正月はせっかくの休みだからやりたいことやって生産的に過ごそうと思っていたけど、正月の方がそうはさせてくれなかった。
美味しい食べ物に元気な姪っ子たち、混雑する街並み。
そういえば去年もそんな感じだった。なんか逆に疲れが溜まった気すらする。
そこで今朝は久しぶりに瞑想をしてみた。
心の奥底に疼いていた感情の澱が浮き上がってきて少し苦しい。それが通り過ぎると、ややすっきりした気分と諦念のようなものが降りてきた。
目を開けてぼんやりすると、ある考えが僕の頭を通り過ぎていった。

なんか、今年はあまりがんばらなくていいんじゃない?

ん?
と思って通り過ぎたその考えを慌てて捕まえ、引き戻す。

そういえば去年はけっこう色々がんばった気がする。
長年考え続けていた演技論を一つの体系にまとめるべく、3000字くらいのnoteの記事を毎週欠かさずに書いたり、それに基づいた演技ワークショップを主催したりもした。その縁が発展して初めての舞台演出もやったし、あと未完成の中編映画のアフレコや編集やらを進めたり。
こう書き出してみると大したことではない感じもするが、自分から発信して何か物事を進めるというのはとても労力が要るのだ。

がんばれば成果が得られるし、去年は自分の中でも発見の多い一年だったと思う。
でも、そればかりでもないような気がする。
何かが得られたのと同時に遠ざかっていくものもあったような気がするのだ。それが何かははっきりわからない。なにしろ遠ざかっていったのだから。
それでも確かに何かが少しずつ遠ざかってゆくのを感じることがあった。

思うにがんばるとどうしても自我が出過ぎてしまうのだと思う。
生きるぞ!という感じの気合いというか。
それに共鳴してくれる人は必ずいるし、だからこそがんばる意味もあるのだけど、ちょっとノれないかもという人も必ずいる。
ことによると、がんばって発信し続けることはそのノれない人を否定されたような気持ちにさせるかもしれない。
だからがんばり続けていると人はだんだん偏っていく部分があるのだと思う。
生きるぞ!という気合いは仏教では「無明」と言って目を曇らせるものだとされている。
がんばっているとどうしても人は自我に執着してしまうのだ。

だから今年の目標は「がんばらない」にしました。

もちろん何もしないんじゃないです。
ただ成らぬものを成そうとあくせくするのはよそうと思う。
ふらっと構えて流れにそっと身体を乗せていくような、そんな一年にしたいなと思う。
なんでも軽い気持ちでやってみたい。違うなと思ったらすぐ辞めちゃいたい。いいものには「いいね」と言って、ノれない時は「ノれないわ」と言う。

でも「がんばらない」って思っている以上に難しいと思う。たぶん。
だって人から認めてもらいたいし、お金だって欲しい。
そう思うとついついがんばってしまいそうになる。
この文章だって少しがんばって書きすぎてしまったかもしれない。
まああくまで目標だし。「がんばらない」ことをがんばってしまったら本末転倒なので、気楽にいきましょう。

というわけで、皆さま今年も(ゆる目に)よろしくお願いします。

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