artbiotop 那須 "水庭"

那須に用事がありついでに雑誌の特集で気になっていたアートビオトープ那須に立ち寄り、建築家の石上純也氏が設計した水庭を見てきた。ついでのつもりであったが今回の那須の滞在の印象のほとんどをこの水庭が占めることになった。

この水庭は隣のホテル建設予定地にあった木々を移植して作られたのだが、木の配置や水たまりの形などはすべてデザインに基づいておりその作り方においては庭と言えど建築なのだそうだということだった。

庭の外から眺めたときは正直がっかりした。木々は冬枯れして殺風景に感じられたし、何より人工的に配置された木々や水たまりは机上の模型遊びを単に大きくしただけのように見えた。
しかし、いざ水庭に足を踏み入れるや時空が変わってしまったようだった。

そこはたしかに建築物だった。木々や水たまりの並びや形はランダムだが決して自然ではなく、自然の再現や模倣とはまるで違うものだった。しかし、新しい建築である。中に入った途端に外からはなんとなく見て取れた「構造」が沈んで見えなくなるのだ。そして「関係」が浮かび上がってくる。

庭には大小さまざまな石が置かれて道をつくっており、道が分岐する度に景色の見え方が変わる。つまり道は単に目的地と人を結ぶ線ではなく、人と環境の関係を決定づけるファクターとなる。道の選択にはその先の関係(見える景色)を予感するという興奮が伴う。時に勇気が試されると感じることもあった。

次第に心の感じるままに道を選ぶようになると、庭に入る時には固まっていた十数人の散策者たちがいつのまに散り散りになっていることに気付く。景色との関係の取り方にそれぞれ違いがあるのだ。少し離れたところを歩く老夫婦を眺める。やはり建築である。景色の中に人が織り込まれた設計になっている。

風や日差しの変化に敏感になってくる。時間はすっかり流れ方を変えたようだ。いや、むしろ僕らが、最初からそこにあった別の時間を発見し発見されたのだ。始めのうち道は方向づけられているように思えた。しかし進むうちに道は分散し、円環し、僕らが持ち込んだ時間を分解していく。

かくして継ぎ目なく庭の時間に接続され、歩いたり立ち止まったり水の中を覗き込んだりしていてふと周りを見渡すと、一緒に入ってきたはずの人たちはもう誰も居なくなっていた。目安の散策時間を30分も過ぎていたようである。さすがに急いで戻ろうと思ったがもはや急ぐことなどできなくなっていた。

おかげで一日の予定は大幅に狂ったわけだが(バスを一本逃すと二時間待たなければいけないのだ)、どの道しばらく庭時間から抜け出せそうになく、もうどうにでもなれだと思い、そこから次の目的地まで一時間歩くことにしたが、途中さまざまに心動かすものたちに出会えたので結果的にもよかった。

「構造」が消え「関係」が現れたと感じて思い出したのはプナン族という狩猟採集民のことだ。「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」という本によると確か彼らは森の中で自分たちの位置を俯瞰的にではなく獲物との関係においてのみ解釈しているということだった。

現代人には森で過ごす時間が必要だと思う。そこには人が農耕の開始によって遠ざかり、近代化によって忘れてしまった時間と幸福がある。緑の芽吹くころ、深緑のころ、葉の色づくころ、また雨の日、夕暮れ時、早朝に、何度でも訪れたい庭である。

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高山康平

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コメント2件

とても興味深く拝読しました。点在する水溜りのあいだを回遊するのは、まるで心や脳の中を散策しているような、そんなイメージを文章から感じました。
ありがとうございます。確かにそうかもしれません。自然は人の外ではなく内にあるのだと言う人がいますが、その文脈を借りるとこの水庭はまさに各人の心そのものと言えると思います。
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