ソロボウラーの自意識問題

昨日、ふと思い立って仕事帰りにボウリングに行ってみた。もちろんソロである。

一人でボウリングに行くにも良いことと悪いことがある。
良いことは、ずっと連続して投げ続けることができるというところだ。昔から家族や友人とボウリングに行っても、終始自分が投げることばかりを考えていて、他人が投げている時間がじれったくて仕方がなかった。
他人がストライクを取ったらやっぱり「おお!」とか言ってハイタッチをするし、スプリットになったり1本だけピンが残ったりしたら「ああ〜」と息を漏らしたりしていたが、その間もずっと自分が投げることばかりをイメージしていたものだ。
だから一人ずっと自分が投げることを考えては投げ考えては投げの中に浸っていられるのはとても良い。

悪いことは、一人で投げていると周りからなんとなく上手い人なのではないかと思われるところだ。事実、自分以外にも一人で来ている人をよく見かけるがみんな例外なく上手い。驚異的なカーブを描き、中にはほとんど折れ曲がるような曲がり方をさせるおっさんもいる。
僕はといえば、やや上手いという程度だが、ストレート投げだし、明らかに素人の域を出ない。
まあ、他人の目など気にしなければそれで済む話なのだが、厄介なのは他人の目よりもその自意識の方なのだ。

昨日も、近くに男女の3人グループがいて、すると、なんとなく横目で見られているような自惚れた自意識が働きだすのだ。「きっと上手い人だと誤解されているのだろうな」と思う同時に、「どれ、ちょっと上手いところでも見せてやろう」という邪な気合いが入らなくもない。だって、実際に上手ければそれは誤解ではなくなるのだ。今日はハイスコアを叩き出してやろうじゃないか。と、ボールもついちょっと重めのものを選んでしまう。

ここで僕なりのボウリングのコツを一つ。余計な力を入れないことだ。

かくして、余計な力の漲った昨日の僕は初球からガターを決め、散々であった。ここ数年で最悪のスコアを出し続けた。フォームはそれなりに良い。だがボールはピンの隙間に吸い込まれていく。そういうゲームではないのに。
僕が最終ゲームの第10投目に差し掛かった頃、近くの男女は帰って行った。途端、僕は力の抜き方を思い出し、1投目で残ったピンを2投目で冷静に沈め、3投目はストライクであった。いくらだってストライクが取れそうだった。だがゲームはそこで終わり。8月最後の思い出である。

人の目なんて気にするな!とよく言うが、それはほとんど不可能だと思い知った夜であった。

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