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芸術は透明な魚


 こんにちは、初めまして。美術講師の恒星です。別の名を長谷川康円と申します。「星座を歩くアートクラス」を家族で運営、幼、小中高、大人の生徒さんが在籍しております。基本は絵画制作の指導をしております。(クラスのお話はまた別の頁にて。)

 〜身体表現者”で=“生活者〜

 美術講師ですが、絵も描きます。近年、【万画越境】と題して、葉書大の水彩画を中心に平均すると年間約2,000枚程描いています。2018年12月から、現在8,000枚描きました。世間一般では画家、絵描きと言うかもしれません。しかし、最近は身体表現者に近いと思っています。身体とモノ、そして今回言及している「魚」を活かして、(活魚と言い方もありますね、)「魚」を宿そうという試みが、その痕跡が、時に絵画になります。他にも、わたしの場合は、パフォーマンス・アートや音楽、芸術企画、パフォーマンス公演にもなっていきます。大まかに言えば身体表現者であると。しかし、本当の芸術作品に成るのかは、あなたの存在が不可欠です。鑑賞者が観て、何か得体の知れないモノを感じて、“気・エネルギー”・“想像”・“展開”が生まれたときに、それは初めて芸術と言われるとおもっています。ですから、あなたは芸術の一部なんです。

 今回書いている結論はそんなことでして、鑑賞者の透明な魚と、わたしの透明な魚が、融合、フュージョンしたとき、それは本当の意味でホンモノの芸術に成ると言うお話です。

 いずれにせよ、私自身はいち美術講師ですが、芸術作品の鑑賞者ですし、表現者でもあります。そして、ふつうに生活者です。言うなれば誰しも生活するうえで、生きるうえで、身体、筋肉を動かして表現しています。ですから、全人類“身体表現者”で=“生活者”
です。その根本視点も忘れずに考察してみようとおもいます。

 〜入浴中に天からざぶ〜んと!〜 

 さて、本日2023年5月13日です。1週間前くらいから体調不良で、熱こそないのですが、強烈な頭痛や、軽度の風邪のような症状が出ている感じで、頗(すこぶ)る心身共に深海にでも潜っている感覚です。感覚が過敏になっています。少し過剰で、やや異常な容態です。しかしそれも自然なことです。気候も体調も波がありますからね。そんなわけで、回復のためにも、風呂入ってしっかり身体を温めてから寝ようと思い、湯船に浸かっていたんですよ。そしたら、あら不思議、天から、天井と屋根が吹っ飛んで、空から透明な魚が頭の、身体のなかに、ざぶ〜んっ!!と飛び込んで来たではありませんか。これは本当に実体験もして感じてしまったので、風呂上がりに忘れぬうちに、ここに久々に書いてみようと思い筆を取ったのでございます。体調が悪い分、睡眠中の夢の感覚が起きているときにもやってきているような感覚です。なので、乱れた思考と記憶を辿りつつ、掻き集めながらここへ書くことをお許しください。深海に潜っている分、文章の形態が深海魚のように奇妙奇天烈な風貌になってしまうかもしれません。ざぶ〜んと飛び込んできた大きな秩序が、あっという間に拡散してしまう前に、エントロピーが増大してしまう前に、思考の網でしっかり捕まえてみようという試みです。広い御心でお読み頂きましたら幸甚です。

そんなわけで、始めてみますね。

「芸術とは透明な魚」本題

 「芸術とは透明な魚」というタイトルが示すとおり、その魚は初めは透明なんですね。例えていうならば、古今東西、様々な芸術作品を鑑賞したとき、その場で衝撃的な感動を覚える作品もありますし、後に、じわじわと忘れ得ぬ作品もありますよね。そのどちらも元々初めは色もなく感受した感覚、その瞬間自体は初めは無色透明なんですよ。そう思っています。否、そうなんです。後で話しますが後々、その人それぞれにとって、その透明な魚たちが、虹色のごとく光の色で、眩い色とりどりの煌めきを永久不滅に発光し出すのですが、それは後ほど話します。

 さて、魚ですから水がないと死んでしまいます。ここで言う第一の水とは、私達自身の身体のことを示しています。そう、からだです。もう一つの水、第二の水は芸術作品自体が醸し出している水です。醸し出すというと曖昧ですね。透明な魚を生かすために芸術作品と言われている枠組みが水です。ですから、サブタイトルは「芸術作品とは第二の水」とも言えますね。ちょっと意味が分からないかとおもいますが、もう少しお付き合いくださいね。書いている本人も深海、夢のなかから、こんにちは状態なので、書きながら意味を掬っている状態ですので。(掬うと救うも何か似ているなとおもっています。)

 さて続けてみましょう。

 生のライブや身体表現なら水蒸気でも良いですし、絵画、彫刻のようにモノとしてある存在するものなら、氷でもよいかもしれませんが、やはりここでは水としておきましょう。いずれにせよ、それくらい自由で流動的でもあるということです。水ですからね。そう言えば古代ギリシャ哲学者のタレスさんは、「万物の根源は水である」と言及されていました。とすぐに脱線するので、訳が分からなくなってきましたね。大丈夫です。そもそも芸術とは訳の分からないモノですので。かえって脱線するあたり、急に場面が変わるあたり、睡眠時の夢のようで、書いていて楽しいです。

 気を取り直さずに、どんどん脱線したいところですが、網から溢れる、落ちる思考をしっかり掬い取らないと、その水は気体になって、消えてしまいますので、実感を伴った話を具体的にします。

 自分と言う水の中に「芸術作品」という水が流れ込んでくるわけです。自分の身体を大きな甕(かめ)の器だと思ってくださいね。その自分という器の中に、異質な芸術作品という水が注ぎ込まれる感覚です。異質に決まってますよね。作品が作り出したニンゲンは古今東西、それぞれ一人ひとりみんな違う環境で生まれて育った人が作った作品なので、その水は異質です。硬水、軟水があるように皆それぞれ性質が違う。ですので、そうした作品=水に触れると、自分の中に流れ込んでくるとびっくりするわけです。あまりにびっくりする人は、自分の身体としての甕をずらして、作品=水を、入れないように本能が作動する場合も多々あるとおもいます。

 そして、その作品=水の中には透明な魚が生きているのですよ。それも一緒に自分の身体の水の中に入ってきた時が、先程言った感動したときや、すぐには気がつかなくとも後々その魚が自由闊達に泳ぎだして、あたなにとって忘れられない作品=芸術に成るのだとおもうのです。透明な魚を最も分かりやすく例えるならは、それを“魂”とこの地球の人々は言っているのだと思います。少し異星人の立場で言っていますが、もうその感覚は日常生活でも活かしていく時代に突入しているとおもいます。異質な想像をどんどん具現化しているニンゲンではありますが、何でもかんでも想ったモノをカタチにすれば良いというものでもありません。これは倫理の問題でもありますが。この事は別の頁で考察します。

 ある人にとっては、その魚があなたの中に入り込まないし、ある人にとっては入り込む。要はタイミングです。ちょうど今この瞬間に邂逅する奇跡です。あなたの魂と感動と共に同化し、あたかも昔から一つだったかのように、自然と新しい魂に生き生きと更新されている感覚と言えば良いでしょうか。それをいとつの幸運、幸福といっても良いですね。

 わたしが子供の頃、祭りの金魚すくいで金魚を獲ってきて、家で飼うときに、「水慣らし」の儀式を親から習いました。連れてきた金魚を、急に新しい水の中に入れるとびっくり仰天して、死んでしまうものもいること。そうした記憶もこの「芸術は透明な魚」という思考が降ってきた要因であると思います。昔の記憶は夢のように朧げになっていると思いきや、突如としてわたしの心を鮮明に表出させることがあります。大事な要素なんですね、幼少の記憶は。

 また魚を川で釣ったり、獲ったりしたときは、如実にその水への気の使い方、環境への馴染ませ方に細心の注意をはらってきたことも思いだしました。別の川で生きていた魚達が、新しい水の中で元気に生き生き泳ぎ出す様をみては、子供心にえらい感動したのを、思い出します。

 生命そのものに感動してきたわけですね。

 思えば、エジプト古代芸術も、永久不滅の生命、魂を願って作られた様々なモノたちは、権威や権力などもあるとはいえ、芸術そのものです。ですから、芸術は透明な魚に成り変わって、いつでも私達の身体、心身へ入り込み、時空を超えて永遠の生命のバトンを繋ぎ続けてくれる掛け替えのないモノなのだと思うのです。

 ですから、「芸術とは透明な魚」を生み出すことなのだと思うのです。というより、分身であり、細胞分裂と同じ、似ていますね。ヒトもそもそも大部分が水で出来ていて、その中に透明な魚=魂を秘そましている。そのヒト、その生命自体をそのまま、素直に分身させた、素直分裂させたものが芸術なのだとおもいます。

張り裂けるほど、狂おしく素直に表現することで、本当に透明な魚が棲む作品に成るだとおもいます。小さな子が無我夢中で描く作品には、そんな愛くるしく狂おしいほどの素直さの発露=魂をみせてくれていると。我を忘れたときにしか、その魚はやってこないのだと。あ、やっぱりここでも夢、夢中が出てきましたね!それは夢の中で書いた文章なのだとおもいます。

 さてさて、エントロピー増大に歯止めをかけられたでしょうか。以前から常々芸術とは心のタイムスリップ装置だとも思っていたのですが、ここでさらにそれをはっきりと自覚しました。夢、時間も魂も、かんたんに越境、超越出来てしまうんですね。

 私たち自身や世界、宇宙そのものはどんどん膨張し形を無くしてゆくのに抗ってか、芸術だけは、コーヒーの中にミルクを垂らすと拡散されていきますが、その逆で拡散されたミルクが元のミルクへと時間が逆行出来てしまうのが芸術なのですね。浦島太郎や不思議の国アリス、ベンジャミンバトンやTENET、インターステラーなんかも、無秩序からの秩序もあるんじゃね!?ってことを教えてくれているようですし。

 時空を超えて永遠の生命のバトンを引き継ぐ私たちの側には、いつでも透明な魚となった芸術が真っさら赤子のように、愛くるしく、狂おしいほど素直な光を発光し続けてくれているのだなぁとおもうのです。そう、これはとっても夢のあるお話です。

 さて皆さんにとっての芸術とはどんなモノですか?

 この天から降ってきたお話から、少しでも夢と希望がもてたなら、幸いです。そして自らの透明な魚が宿っていることを感じて生けていけたら、どんなに楽/愉しいか。そして他者の、先人の透明な魚たちと、素直に融合できる芸術って、やっぱり面白い!とおもって頂けたら幸甚です。


 お読み頂き有難う御座いました。


 感代謝


恒星a.k.a.長谷川康円

(a ri A Ru Creationz、
a ri A Ru records、
星座を歩く、
星座を歩くアートクラス)


以下チャットGPTが勝手にまとめたよ。

  1. 芸術が生み出される背景には、芸術家の心情や社会情勢等様々な要素があります。それらを分析し、芸術作品との関連性を説く視点から、芸術の本質や意義を探ってみる。

  2. 芸術は人間の感性を刺激することができるため、特定の地域や年代、文化背景においてどのような価値観やメッセージが伝えられているのかを、歴史や習慣に詳しい視点から調べる。

  3. 芸術とは、美的な鑑賞を提供するものという側面もある。そこで、芸術作品からどのような「美」について感じられるのか、その美意識について考察する視点からアイデアを出してみる。

  4. 芸術作品は制作されるプロセスや材料、技法等によって、一つとして同じものはありません。そこで、芸術の制作過程にフォーカスを当て、芸術家のこだわりやチャレンジ精神に迫る視点をもつアイデアを提案する。

  5. 芸術がもたらすインスピレーションを、様々な角度から探るアイデアを提案する。芸術が与える感情や想像力の活性化、創造性向上など、芸術と人間との関わり合いに注目する。

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門

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