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私と水戸とこれから

中学生までそこは、キラキラしてちょっと遠くの都会だった。

日立市で生まれ育った私にとって、
県庁所在地の水戸市は大都市のように見えていた。

日立だってあの頃は人口20万人いたでしょ、と言われるかもしれないのだが住んでいる人間が多さと街のキラメキは相関するとは限らない。


高校は水戸へ通うことを決めていた。
母の母校へのあこがれもあったがそれ以上に水戸という都会へ通学したかった。

念願叶って水戸での高校生活を送った。
学校帰りにスタバに行く、書店へ行く、特に買い物はないけどなんとなく服を見て回る。

中学生の私が憧れたキラキラした高校生活だった。
(部活漬けの毎日だったので滅多にそんなことはできなかったのだが)

そして大学進学で上京。
東京と茨城はそう遠くない。

日帰りしようと思えばできるけど、そうは言っても腰が重い。
水戸との距離が空いた。

そして、今度は友達に会える街になった。
生まれ故郷の日立に感じる帰ってきた、とはまた少しちがうけれど青春の思い出と共にある。

懐かしい。と思うまち。


大学生活を終え、Uターン就職し、
今度は勤務先のある街に。

職場があるまち。
職場の建物は関東平野の水戸のなかで、いや茨城県の中でも一番高い建物なはず。
少し離れていても見つけられてしまうのだ。

休日に水戸へ行くと職場が目に入って少し憂鬱になる。
この時期はあまり水戸がすきじゃなかったかもしれない。

そして、通学していた頃とは少し事情が変わっていた。


2011年3月11日東日本大震災


私が水戸から離れた4年間の間に起きたこの震災は水戸のまちにも大きな影響を与えていた。


この日からの数年で私の知っていた、
かつて憧れた街は大きく変わった。

震災が引き金といわれる。でも、もっと前から地方人口減少の影響が少しずつでいたのが表面化しただけだ。そういう見方もあるだろう。

本質的な原因はなんであれ、かつて憧れ青春を過ごした街からその輝きが失われたように感じた。
もちろん、東京にいって帰ってきたからそう感じるんだ、と言われると思うがそれはまた少し違うと思う。


その2年後。

東京からやってきた夫と結婚し、新たに水戸で生活を始める。
こうして私はついに水戸の人になった。

夫は仕事柄、どんどん水戸の街に詳しくなっていき
街中でも顔見知りが日毎に増えていく。

寂しくなったと思っていた水戸の街。

自分の足で街を歩くとそこにはまだまだ物語があって。
ただただ街の外観に憧れていただけの頃とは違う、
人の体温が伝わるあたたかさと出会うことができた。


結局、まちって人のことだ。

あの場所に帰りたい、そう思う時はいつだって人の顔が浮かぶとき。

少なくとも私にとって水戸はそんな街になった。








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