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旅18-サラエボには鉛色の空が似合う

冬季だから仕方ないと思うけど、あの青空が嘘のようにボスニア・ヘルツェコビナに入ってからずっと曇りで、寒い。モスタルからの電車(バスの2/3の値段!)で少し晴れた以外、ずっと鉛色の空である。寒い。内陸だし、標高も500mくらいだから。
しかし申し訳ないが、サラエボには鉛色の空が似合うのだ。

この町の旧市街・バシチャルシアはもはやヨーロッパではない。
イスラムの香りがプンプン・ムラムラする。建物もモスクもアッザーンも、食べ物も人も皆、そうである。
そんな街のすぐ横には教会もあって、ここも文化の交差点なのだ。

そして、サラエボと言えば“サラエボ事件”が思い浮ぶ人も多いはず。ここは第一次世界大戦の口火を切った町である。その現場(狙撃現場)はバシチャルシアのすぐ南にある。

西に歩くと通称“スナイパー通り”。
ここでは無差別に女性も子供も撃たれた。市の中心部の中では、この通りだけには建物に銃痕が残る。当時営業を続け、世界中のジャーナリストが集ったHoliday inも健在。

北にあるオリンピックスタジアム(この町で五輪開催とは…)の南には、かつてのサブグラウンドが墓地になっている。

生まれ年は違えど、慰霊碑の没年はすべて1992~94。葬る場所がなく、旧五輪会場が内戦による戦死者の墓になった。
僕は手を合わせた。

サラエボには鉛色の空が似合う、と言ったが、曇り空でもまったく町の価値が落ちず、力強い街という意味であって、燦々と輝くのを望んでやまないのである。

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