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人文学では、科学を包摂する学問がぜひとも必要

 2023年8月9日のTwitter​の足し算。

 8月7日に担当している集中コースが終わり、成績処理などもして、その他いろいろ対応をし、やってしまわないといけない会議などもようやく今日終わり、やっとお盆休み?に入ることができる。少し「お勉強」に集中したいと思う。このところは、ベルクソン、ドゥルーズという「真打ち」登場です。
 おもしろいのは、ベルクソン→ドゥルーズ×ヴィゴツキーという部分を日本の佐藤公治さんが丁寧に論じてくれている。『ヴィゴツキーからドゥルーズを読む』。この本、重要で本質的なテーマがしっかり論じられている。佐藤さんの学究は何とも真摯ですばらしい。
 5年ほど前は歯が立たなかった『千のプラトー』も今は入っていけそう。話は変わるが折口信夫の学問は実感の学問と呼ばれるらしい。個々の事象をしきりにデータに基づいて裏づけようとするのではなく、関連する事象の「すべて」を知り経験しながらの実感に基づいて全体を説明し得る論(仮説)を展開する。
 学問は科学で「言われている」ことを総覧し批評して、「全体」を包摂する整合性のある解釈像を示すもの。学問の基盤には人間や人間世界についての哲学があるとともに、社会を導く学者としての責任と倫理がある。これは、主として人文科学に対する学問の責任。
 自然科学系では科学とテクノロジーが結びついて人間に「便宜」をもたらす。そんな「便宜」を使ってもいいものか、それを使うと人類やその他の生物や地球に何をもたらすのか、そしてどのように使うのがよいかなどを包括的に検討するのが、自然科学やテクノロジーをめぐる学問の役割。
 忘れてはいけないのは、哲学に起源をもつ学問は、包括的に論究するという方法でいろいろなテーマについて肉薄する。テーマを扱い可能に狭めてデータに基づいて一つずつ確かめていこうとする科学とはいわば逆方向のアプローチ。しかし、学問の「包括的に論究」というアプローチを軽視してはいけない。
 「19世紀末以降の科学とテクノロジーの猛威」以降、人文学(学問と科学の両方の「知ろうとする」営み)も科学のほうに大いに傾きつつある。しかし、科学だけでは人間のことを一部あるいは断片的にしかわからない。人文学では、科学を包摂する学問がぜひとも必要。

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