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第100椀 冷奴のお味噌汁

初出:2022年7月15日

<お味噌汁> ひと椀がつむぐ大切なもの それは日本のたから

「お味噌汁復活委員会」は、味噌汁の大切さをあらためて発信していこうと、2014年夏にFacebookページにてスタートしました。世話人、お味噌汁復活ライター、一般読者が思い思いの味噌汁を投稿しています。

味噌汁の出汁・味噌・具材を、それぞれに深く楽しく考え広め、毎日の食卓に味噌汁をいただく習慣を復活させるべく、活動の場を広げています。

私コイタは第1期からお味噌汁復活ライターをさせていただいております。ここでは私の書いた記事をまとめて紹介しています。


テーマ:『個性の違う味噌を合わせて作るお味噌汁』


おかげさまで、お味噌汁復活ライターとして足掛け八年、今回で百椀目を数えさせていただきました。数回でネタが尽きるのかと思っておりましたが、こんなに長く続けさせていただけるとは夢にも思っておりませんでした。ご拝読ありがとうございます。

さて、百椀目をどうしたものかと思案しておりましたが、やっぱり豆腐で。今までの記事で百椀中一体何椀に豆腐が入っていたのか?と、調べてみました。これが豆腐(焼豆腐)32、油揚げ(厚揚げ)15、高野豆腐1、おまけにおから2と、豆腐に関連した食品が実に半分の50椀でしたねぇ。まぁー、豆腐大好きなんです。

ところで、豆腐のルーツは中国だそうです。中国では炒めたり、煮たり、割と火を通して使うことが多いのですが、豆腐をそのまま食べる。いわゆる刺身で食べるのは日本ならではのようです。

そのまま食べる豆腐を「奴豆腐」なんて言いますが、なぜかと言いますと、よく時代劇の大名行列のシーンで、槍を振りながら歩いていたり、箱をかついでいる人などが『奴』と言われまして、武家に仕えて主に下働きをしています。その奴さんはどこの藩に請われても行列に加われるように、着物の袖には「四角」の紋を染め抜いていたそうで、そこから正方形に切ることを「奴に切る」なんて言ったのが由来になっているそうですね。今では冷奴のことを指しますが、昔は煮奴、湯奴なんて料理もあったようです。

そうそう、奴豆腐と言えば、こんな狂歌があります。
「酒飲みは 奴豆腐に さも似たり はじめ四角で あとはぐずぐず」
落語の「変わり目」とか「親子酒」、「居酒屋」など、お酒が出てくるネタの枕でよく使われるお馴染みの狂歌ですが、作者は江戸後期の狂歌師『四方赤良(よものあから)』。この人はたくさん名前があるんですけど、後の『蜀山人(しょくさんじん)』で、一番有名な名前は漢学者としての『大田南畝(おおたなんぽ)』です。

狂歌師はだいたい漢字だけ見ると百人一首の作者に居そうな、でも読むと絶対居ないだろっていう洒落が利いた狂名が多いんですね。例えば『朱楽菅江(あけらかんこう)』とか、『元木編(もとのもくあみ)』とか。そして『四方赤良(よものあから)』の由来はといいますと、江戸日本橋新和泉町の名酒「滝水」で有名な酒屋『四方久兵衛』の店。居酒屋も始めまして、そこで酒の肴に甘い赤味噌を出したところこれが大受け。『四方の赤(よものあか)』と呼ばれ人気だったそうです。その四方の赤が良い(好きだ)からってのと、酔っ払った「赤ら」顔と、奈良時代の歌人『山上憶良(やまのうえのおくら)』に掛けて、『四方赤良(よものあから)』と名付けたのかなぁと想像します。

この江戸の甘い赤味噌は、江戸時代には「上赤(じょうあか)」とか「極(きょく)」と言われていたそうです。米麹を多く使っていまして、第二次大戦中は「贅沢品」に指定されたため製造が出来なくなり、戦後は細々と作られるだけで風前の灯火だったところですが、平成11年に東京味噌工業組合が「江戸甘味噌」として商標登録を行いまして、近年では知名度が向上し、盛り返しているようですよ。艶のある色味とお酒のようなふわっとした醸造香が特徴で、甘みがあるのでそのまま田楽味噌にもできます。

さぁて、前置きがやたらと長くなってしまいましたが、百椀ということでお許しを。暑い時期ですので冷奴をお味噌汁にしていただくという趣向で。

まずは八丁味噌で作ったお味噌汁を冷蔵庫でよ~く冷やしておいて器に注ぎ、そこへ大きめに切った豆腐をでんと盛ります。江戸甘味噌と削り鰹をのっけて、お味噌汁のような肴のような、、、。江戸甘味噌と豆腐をぐずぐずに崩しながら、最後に甘さと渋さが混ざったのをずずっとすするのがおいしいんですねぇ。

あれ?先月も梅干の似たようなお味噌汁だったような?まぁまぁ、いいじゃないですか。

『冷奴のお味噌汁』
出汁:昆布、乾椎茸
具材:木綿豆腐
吸口:江戸甘味噌、鰹節
味噌:八丁味噌


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