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和算家の歴史を別角度から眺める

 『隠された十字架 江戸の数学者たち』、和算の歴史についての面白い考察です。ここから日本の科学・学問というものがどのような系譜で今に至るのか、といったヒントが垣間見えるのではないでしょうか。
 といっても、ここに書かれたことすべてに納得、賛同しているわけではありませんが、ある前提をもって読むと非常に示唆に富む内容に思います。

 まず、和算は日本独自で生まれたものではない、という視点。それも隠れキリシタンとの濃厚なつながりにより、我が国に根付いたというもの、という視点です。
 和算の大家である関孝和はキリシタン宣教師により育てられた、という副題がこの本の概略になります。キリシタンの宗教心と棄教にたいする心情などを過度に推察した点が、私としては「?」という点ではありますが…。
 しかし、切支丹屋敷を設けた井上政重がきわめて重要な役割を担うこと、そして弾圧者という立場ながら隠れキリシタンの連携に絡むと思われる姿勢、これらはただ通常の心情からは推し量ることが出来ない、大きな秘密があるように思います。
 一見、弾圧者側が、それと反転した地位にあるということは歴史的には珍しくないようにも思われます。こうした微妙な関係性による秘密のネットワークの存在が、この本からは感じることができそうです(著者が意図しているかどうかは分かりませんが)。文字通り語られることとは一線を画した解釈の可能性が広げられます。
 こうした突飛な考えは、幕末から明治に至る変遷期において、不可解な動きをとる幕末の理数系武士団の動きと相俟って、意外と合理的なものにもみえなくもありません。また隠れキリシタンの動向は、幕末維新においても大きな伏流となっているようにも感じられます(大村藩と秋田藩の関連なども何かありそうですし)。

 さらにこの本を読んでいて、数学にはイスラム系とキリスト教系があるとか、ハーモニックコスモス信仰との関連が記載されているのですが、なんかとっても長沼先生的な記載だなと感じていたら、しっかりと参考文献に「物理数学の直観的方法」が挙げられていました。

 常識を疑いながら、素朴な疑問を解決していこうとする思考をとるときに、とても参考になるのではないかと感じました。

隠された十字架 江戸の数学者たち 関孝和はキリシタン宣教師に育てられた画像

隠された十字架
江戸の数学者たち 関孝和はキリシタン宣教師に育てられた
雅敦, 六城 秀和システム 2019-08-31

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