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10年前のあの日、私は…

東日本大震災から10年
あっという間に感じるが
年月は確実に過ぎていて、10歳加齢

今日は、あの日の話をしたいと思う

私はあの日、九段会館にいた
そう、東京で亡くなった方もいらした
天井が崩壊した九段会館だ

2時46分
セミナーに参加していて、大きな揺れに襲われた
震度5強

九段会館は、古い建物で高級なシャンデリアがあり
ガシャガシャと不気味な音を立てて恐ろしいほど揺れた
揺れは、最初は小さく、周囲の人と顔を見合わせ
お互いに冷静さを見せようとした、、

そのとき、
これまで体験したことのないような大きな揺れになり

白いテーブルクロスのひいてあった机のコップの水が
あっけなくこぼれ、座っていることも困難な状態になった

隣の大ホールの吊り天井が落下したとわかったのは
九段会館の駐車場に逃げたあとだった

幸いにも、
私は天井が落ちた大ホールの隣のホールにいて
なんとか命は助かった

まだ、揺れが収まらず混乱の中

駐車場では、ブルーシートがひかれ
血だらけの人がどんどん運ばれては寝かされていった

空にはたくさんの数のヘリコプターが飛び
マスコミのカメラが次々と到着し、悲惨な現場を伝えていた
(あとでわかったことだが、東京では被害が大きかったので
あんなにマスコミがきたんだね)

トリアージも始まった
怒号が飛び交い、喧噪の中
横たわる人の数がみるみる増えていき
ただ事ではない状況に足が震え、
何も出来ない自分が情けなかった

とにかく避難をという周囲の動きに
私も皇居近くの広場に移り、そこにしばらくいたが
近隣の会社の人達もたくさん避難してきており
広場は、ゴッタ返していて、、
携帯で情報を確認する人
家族に何度も電話をしてもつながらない人
みんなが不安でいっぱいで、色々な情報が錯綜した

余震は続いていたものの
いつまでもここでいても仕方ないので、
まず、一旦会社に帰ろうと(千代田区)
同僚と歩き始めた

会社に戻ったら、
よくぞ無事でと大騒ぎになっていた

私と同僚のホワイトボードの行き先が
九段会館となっていたためだった

そこからは、みなさんもそうだったと思うが
電車も動いてなかったり、色々なものが麻痺している東京で
歩いて帰る選択をした人もいたが、私は自宅が埼玉のため
会社に泊まることを選択した

そのとき、息子は中学生で、同じく学校にとどまっていた
(夜中に友達のお母さんの車で送ってもらって帰ってきた)

会社の前を歩いて帰る人の行列ができ、ゾロゾロと帰っていく

同僚や周囲の会社の人が家路を急ぐのを見ると、
ここに残るのは正解なのかわからなくて不安だった

会社では、女性は2階、男性は3階の会議室が寝室になった
私は、段ボールを敷いて膝掛けと段ボールを巻いて会議室でねた

まんじりともしないまま、朝になり
朝方、地下鉄が動き出したので、始発でうちに帰った

あの日のことは一生忘れられない

自分が運がよかったとは言いたくない
でも、ほんの一瞬なにかが違っていたら、どうなっていただろう

あれから10年
加齢を喜ばしく感じられるのは、
あの日のことがあるからかもしれない




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