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非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート3〜スピリチュアルはつらいよ?篇〜

この記事は、スピリチュアル関連、神事、仏事などに、全くと言っていいほど知識のない人間によって書かれています。出てくる単語に関しても、意味をきちんと把握せずに使用している場合もあることをご了承ください。誤用している、もしくは、説明の必要な単語や文は記事の最後に解説を入れ、間違いなどがあれば学びを深め、次の回に進めていきたいと思います。また、無知であるからこその偏見も多分に存在することにもご注意いただければと思います。どうぞ存分にツッコミを入れつつ、読んでいただければと思います。

突然だが、私は乗り物に非常に酔いやすい。乗り物どころか手持ちカメラで撮った映像にも酔う。陶芸教室に行ったときは、自分で回す手回しのろくろで酔ってしまい、自分で自分が嫌になった。

そんな私だが、ダンスミュージック全般が好きで、聴きながら台所で適当に踊る、という趣味、と呼べるほどではなさそうな趣味を持っている。そして、その趣味とは言えない趣味を堂々と趣味と呼べるようにしたい、という欲求を常に持っていた。

そこへ、知人がサルサの教室を開くということを知り、これ幸いと出かけていったのだ。

しかし、である。サルサのダンスでは男女がペアになって踊るのだが、男性のリードで女性がクルクル回る、ということがその大半を占めるのであった。参加する前にYouTubeで動画を見るなどのリサーチをしておけば良いのに、うかつである。

ステップの基礎練習までは楽しんでいたのだが、ターンの練習になった途端、もうお家に帰りたくなっている自分がいた。

趣味が見つかると思った私はたいそうがっかりした。なんでこんなに酔いやすいのだろう。自分の体質を嘆いていた、そんなときである。

ある知人のFaceBookの投稿で、

”クルクルと回る「スーフィー旋回舞踊」のワークに参加、三半規管が弱いものの「いつまでも廻れる不思議」”

とあるのを見つけたのだ。

そんなバカな、と私は思った。スーフィー※1、と言えば確か、中学時代の地理か歴史の副読本では、揃いの白いワンピースのような服を着た男性たちが旋回している図とともに説明されていたアレである。想像しただけで目が回りそうだ。

しかし、三半規管が弱いというその知人は、いつまでも廻れ、深いリラックス状態になった、とさえ言う。

もしかしたら、このスーフィーに私の長年の酔いやすさを解決するヒントがあるのでは?気になり出した私は「スーフィー旋回舞踊」のワークを行っているトモちゃんにメッセージを送ったのである。

すると、トモちゃんの次のワークが家から1時間ほどの場所で行われることがわかった。ただし、それはスーフィーではなく、「光の舞」ワークだという。

光の舞、ってなんだろうとは思ったが、これまで、FaceBook上のつながりがメインだったトモちゃんと直接やりとりし始めたその時から、私の目的は、当初の「酔いやすさの解消」から徐々にずれていった。

トモちゃんは、私が熊野に移住してからできた知人の中で、私の中の印象としてはナンバーワンクラスの「スピリチュアル系」なのであるだった。

トモちゃんとの最初の出会いは2011年のことだった。彼女は当時、3.11後の日本を「ホ・オポノポノ※2」しながら徒歩で旅をする旅人だった。そしてその後熊野に移住。私の住む串本町で、彼女のインド舞踊をベースにした踊りを見る機会もあった。

その後はあまり直接的な交流はなかったものの、ダンスをベースにしたワークなどを精力的に開いている彼女のFaceBookの投稿を頻繁に目にしていた。

共通の友人がタグづけされていたり、美しい自然の写真が添えられていたりなど、気にはなってはいた。しかし、非スピリチュアルな自分にはトモちゃんのワークは無縁だ、と、思っていたのだ。

だが、今や私はスピリチュアルに行動すると決めた女である。これ以上のぴったり行動はないだろう、と思い、トモちゃんの「光の舞 ワークショップ」に参加することにしたのだった。

「非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか
パート3〜スピリチュアルはつらいよ?篇〜(2)」

「スピリチュアル系」のど真ん中に飛び込んでいく、そんなつもりで参加するワークショップに向かう私の車には、初対面のEちゃんも同乗していた。何度かトモちゃんのワークに参加経験があるそうで、

「毎回、私も驚くくらいスピリチュアルな方が参加するんですよ」と言う。しかしEちゃんはシンギングボウルセラピストだというので私は余計びびった。そんなスピリチュアルっぽいお仕事をしている人が驚くくらいのスピリチュアルとは。私みたいなもんが参加して大丈夫なのだろうか。

Eちゃんのやっているシンギングボウル※3セラピー、とは、シンギングボウルという器から出る音の持つ波動が人間の体を震わせ、「チューニング」を行うものなのだそう。

人間の体はほとんどが水だっていうし、水は音で震える。電気でブルブル体を震わせるマッサージ機もあるわけだし、音のマッサージ、みたいなもんだと思えば良いのだろうか?

長年、障害のある方や病気の方へのマッサージを仕事にしていたEちゃん。しかし仕事を続けるうち「気」のようなものを「もらってしまう」ことが増え、「エネルギーワーク」の必要を感じるようになったのだとか。ちなみに、エネルギーワーク、とは体に直接触れることなく行うヒーリングのことだそう。

「もらってしまう」とか、「気」みたいなものがピンとこない私は、Eちゃんに、自分が「スピリチュアル」なものに今まで全くと言っていいほど触れてこず、時として疑いの目を持ってしまうこともある、と正直に打ち明けた。

すると彼女は、

「私も、メカニズムがわかっているものにしか興味がなかったんです」と答えた。

「そう、それ!」と思わず私は前のめった。

どうして私が「スピリチュアル」なことに対して少々懐疑的になってしまうのか。それは、まず第一に、目に見えない事柄が多く含まれるジャンルのことだからだ。

でも、よく考えれば目に見えないけれどその存在を疑うこともないものなんていくつもある。例えば空気だってそうだし、電波だってそうだ。それに、ご先祖は顔も見たこともない人ばかりだが、その存在を疑うことはしない。

それでは、なぜ私は「スピリチュアル」としてくくられるものに対して疑いを持ってしまいがちなのか。それがメカニズムのわかる、説明のつく事柄ではないからだ。

こうやって書いてみると、「そりゃそうだ」という感じである。でも、私は自分の感じていた違和感を、「なんとなく」でとらえ、「なんとなく」で「怪しい」の整理棚にしまっていたのだ。

それこそメカニズムもへったくれもない思考法である。

でも、Eちゃんが代わりに私の違和感を言語化し、整理してくれたのだ。

助かった。

しかし、こんな私がもし、天動説が主流の時代に生まれていたら、地動説を唱える人たちを「なんとなく」で変な人扱いしているに違いない。

私ってなんて了見の狭い人間なんだろうか。

心の中で勝手に1人反省会を開いているうちに、ワークショップの会場についた。場所はトモちゃんとも共通の友人の、カフェの庭である。よく晴れたひな祭りの日で、高台にあるその庭からはのどかな集落と緑の山、そして、青い空が見えた。

ワークショップまでに時間があったので、トモちゃんにインタビューしてみた。

「光の舞のワークショップはそれぞれの魂の光と出会うために、呼吸法などのツールを使ってやっていきます。光の舞は基本は私のオリジナルだけど、今まで私が勉強してきたヨガの、特にチャクラ※4、にフォーカスしてやっている感じかな。」

「魂の光」「チャクラ」など、しょっぱなから立ち止まって意味を確認したくなる単語が次々に飛び出してくる。でもとりあえず聞いていかなければ先に進まない。

「この場所ってとりあえず、プラーナがいっぱいあるところじゃない?プラーナって、宇宙のエネルギーね。そのエネルギーを取り入れる呼吸法をしていったりだとか、ヨガのポーズをとったりだとか、体を動かしていくことでエネルギーは活性化していくから。」

おお、やはり、スピリチュアルな行動はすなわち運動不足解消に結びつく、という、私がこのシリーズの第一回で思いついた単純な図式は合ってるのか?

「あとは呼吸ってやっぱりすごいんだよね。みんな生まれる時にそれぞれ内なる光をもらってこの地球にやってきていると思うんだけど、呼吸することでその光に出会っていくの。」

生まれる時にもらってくる内なる光。例えるとしたら、赤ちゃんのあの生き生きとした、周りを明るくするような感じのことだろうか。

「頭の中でごちゃごちゃ考えすぎてしまうことって誰にでもあることなんだけど、でも、その奥にある本質の自分の絶対的な安心なり、光なりに出会った時に、自分の中の迷いや悩みを冷静に見つめらていられる、っていうか。」

そして、その絶対的な安心や内なる光に気づくことができる道具として、呼吸があるということなのだろう。それなら、なんとなくわかる気がする。

その後、トモちゃん自身は自分の活動を「スピリチュアル」と思ってやっているわけではない、と前置きしたうえで、

「スピリチュアル、ってひとことで言うのもアレなんだけど、それって、みんなが気持ちよく、大自然とつながって本当に楽に生きていく生き方なんだよね。自分の中にエネルギーを通して、自分がいつも心地良くいられた時って、いろんなことがあっても大丈夫じゃない?そういう自分にいつでも帰れるような、内なる光に戻れるような、そんなことを目的としたワークをやっています」

と、説明してくれた。

「私も若い頃、いろんな人に、『あんたの生き方良くない』ってめちゃくちゃ言われてた時があって泣いたりしてたんだけど、そんな時に出会ったのが、鎌倉にいたタモさんていう人で」。

タモさんとは言ってもサングラスがトレードマークのウキウキウォッチング※5ではなく、たしか、鎌倉にいた太母さんていう人だ、と私は思い出す。トモちゃんのFBの投稿で以前目にした、聖人みたいなお婆さんのことだろう。

「タモさんはお寺に生まれたんだけど、生まれた時から光の存在として、この子には『こんなことしたらあかん』とか『あんなことしたらあかん』などと叱ったりせずにのびのびさせよう、ということで育てられてきたの。そして、そんなタモさんに悩みに対しての答えを求めに会いにいく人がたくさんいたの。

それで私も会いに行って、1週間くらい一緒に過ごして、タモさんのシンプルな生き方を、圧力釜でのご飯の炊き方とか、洗濯物の洗い方などを通して教えてもらったの。」

世の中の既成概念や大人からの叱責などを経験することなく育った人との共同生活か。それだけですごく、興味深い。

「今でこそ人のことを優先させるよりもまず自分を癒し、自分の魂の輝きを大切にする、みたいなことは言われているけど、その当時はそんなことを言う人はいなかったの。

でもタモさんが、『まずは自分の心がどうか、幸せなのか、ワクワクしているのかを見て、自分の心が、魂が喜ぶことをしていきなさい、すると自分の魂が喜んで、その波動で隣の人も輝いていくからって言ってくれたの。それでわたしは、『そうなん?私このままでいいの?』って思ったの。」

その時点ですぐにタモさんの言葉に納得できたのは、トモちゃん自身がそもそも、タモさんに近いような生き方ができていたからなんだろうな、と私は思った。そんなふうに素直に人の言うことを受け入れられる人って、なかなかいないんじゃないのかな。

「そしてお別れの時にハグしてくれて、その時に光の玉がパッて、胸の中で輝いて、嬉しくて涙が出てきたの。その時、これってみんなが生まれた時にもらった光なんだ、って私は思って。

みんなそれぞれ、生きていく上ではいろんなことがあるけど、空に雲がかかかっていたとしてもその向こうには太陽がある、みたいな感じで、胸の中には必ず光があるの。そんなようなことを今日は、みんなに体験してもらいながら進んでいきます。」

いよいよ、光の舞、ワークショップの始まりだ。

「非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか
パート3〜スピリチュアルはつらいよ?篇〜(3)」

まず、みんなで輪になって立った。輪になる前に、靴下を脱いで、裸足になり始める参加者さんがいたので、私もそれにならって裸足になった。知ってる、アーシング※6でしょ?

しかし、裸足に慣れない私はつい痛がってしまった。

「痛い場合は履いてね」とトモちゃんは言うものの、1日じゅうパソコンの前に座ることが多い私は、子どもが触れるとビリビリするほどリアルに帯電していた。なので、そのまま裸足でいてみることにした。

そして、トモちゃんの指示に従い、右手が上で、左手が下で、隣の人と手を合わせた。そして、両手を上に上げながら、

「オーム※7」と唱える。トモちゃんは、オームは宇宙の始まりの音だと説明してくれた。

御近所さんが通りそうな場所で輪になって唱えるにはちょっとためらわれる言葉だなあ、などと考えつつも何度も繰り返す。そして、早くも息が切れてきた。腕を上げ下げしながら唱えるからよりキツい。

トモちゃんからは、

「いただいたエネルギーを体の中心に持ってきて、それを母なる大地に戻して」と指示を受けるのだが、足の裏から何かを出す感じなのだろうか?イメージするのが難しい。

そして、「母なる大地に近寄って、地面に額をつけましょう」と指示された。

やってみると、これは意外と気持ちの良いものであった。頭が緩むような感覚もあるし、地面の少し冷たい感じや草の匂いも心地良い。頭を直接地面につけるなんて、これまでやったことがあっただろうか。とても新鮮で、なかなか刺激的である。

そして、ゆっくりと額をあげ、大地を両手で撫でるようにする。大地を撫で撫で、これもなかなかいいもんである。私は地球を大型犬のように撫でまわした。

次からがウォーミングアップだ。ジャンプしながら、意識的に「ハアー!」吐息を吐いていくのだが、すぐに息が切れる。普段の生活でジャンプって、そう言えばなかなかやらない。それに、、、。40代の経産婦の方ならわかっていただけるのではないだろうか。NM※8が心配である。

「吐く息とともに不必要なものを出すように」とトモちゃんはいうが、私の場合は別のものが出てしまいそうだった。

そして、次第にジャンプの速度は上がり、「ハッハッハッハッ!」と連続して吐き出してジャンプする。

ウォーミングアップどころか、ギブアップ寸前。ジャンプが終わると、両手を上にあげ、思い切り振り下ろしながらまた「ハアー!」これを繰り返す。

「キツイ!」と泣き言を言う私の声を聞いてか、トモちゃんは、

「とどめに、みぞおちに手を当てて、自分の中にあるいらないものを、『ハアー!』と思いっきり出して、大地に返すように。母なる大地は全てを受け取って来れますから」

と言う。

やってはみたものの、もう、息が上がって、深く息を吐き出すことさえできなかった。

「さあ、次からは思い切って踊って行きます。普段動かしていない部分も動かす感じで」

この後が本番だなんて、早くも先が思いやられる。

「場所を思い切って使って、踊ってください。」

他の参加者さんはみなさんそれぞれ楽しそうに、踊っている。私は正直、休憩が必要だった。スピリチュアルになるのは、体力がいるらしい。私はなんとか体を揺らしながら、息を整えた。

「それではこの曲に合わせて、思い切って踊りましょう」と、言ってトモちゃんがかけたのは、妙なる笛の調べで始まる雅な感じの曲である。

ピーピーと、鳥の鳴く声が響いたりするこの場所にはぴったりの曲だが、激しいリズムで踊るのに慣れている私にはちょっと難しい。それでも、なんとかモジモジ踊る。

自信のない私は、つい他の参加者さんに目が行く。それはそれはみなさん、のびのびと踊っている。

先生のトモちゃんと筆者が踊っているところ。照れ屋なのでトモちゃんの目を見つめられなかった。

笛の調べに打楽器が入ってきたころ、

「ここからだんだん、火が燃えているような感じをイメージして」とトモちゃん。

ふむふむ。火のイメージ。なんとなくやってみる。もじもじにちょっとだけ、動きが加えやすくなったような気がした。

「ここからがクライマックスです。燃えて燃えて!」

太陽がだんだんと上ってきて、暑くなってきた。

曲が終わると、

「そのまま、地球の上に立つ感じで、お水飲む方は飲んでください」とトモちゃんから指示が出た。もちろん、飲む。私は、完全にバテていた。

その後、トモちゃんは言った。

「肩幅くらいに脚を広げ、丸い地球の上に立っていることをイメージします。そして、上から引っ張られているような感じで背筋を伸ばします。天と地球の間に自分がいることをイメージしましょう。

イメージしていくことがそのまま現実化していくので、イメージすることはとても大事です」

イメージが現実化する。そんなような説は、聞いたことがあった。そしてその説は私にとって非常に都合の悪いものなのである。

私には、肝心な時に限って、変なイメージが勝手に頭に湧き上がってくるという癖があるのだ。

私は幼稚園時代から中学生まで、アルペンスキーをしていた。親が指導者だったのである。運動神経は人一倍鈍いものの、競技人口が少なく、しかも歴だけは長いので、中学時代には一度だけ東北大会に出ることになった。

滑り切ればなんとか入賞圏内、というレースだった。コースはひどい冷え込みでアイスバーンになっていた。つるっつる、である。だから、慎重に滑らなければならない、そんなカーブに差し掛かった頃、なぜか、

「マルコメマルコメマルコメマルコメ♪」

という、軽快なマルコメ味噌のCMソング※9が脳内に流れてきてしまったのだ。

笑いがこみ上げてきてしまった私はひどく動揺し、そのまま派手に横転、スキー板は外れ、棄権した。

このようなことが、これまでの人生のうちに何度となくあったのである。

だから、「イメージが現実化する説」は、私の場合はちょっと、採用は見送りとしたいのである。(マルコメの件は私の運動神経の鈍さがその原因の大半ではあるだろうけれど。)

しかし、このワークはきっと、イメージすることを切り離しては成立しないはずだ。

体力とイメージ力。その2つに自信のない私にとって、今回のこの「光の舞」ワークショップはその後もかなりハードなものとなったのであった。

「非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるか
パート3〜スピリチュアルはつらいよ?篇〜(4)」

トモちゃんの指示は続いた。

「ハートに手を合わせます。踊った後なので動悸がしているかもしれません。自分の内側に意識を向けて、呼吸が入って、出ていく、それを静かに見て行きます。動悸がおさまったら、長い息を吸い込んで、ハートの奥に息を入れ、ハートから息をフーッと出します。

ハートの奥にあるのがあなたの真我、あなたの魂の光があるところです。呼吸を通して、自分の本質、魂の光の場所に出会っていきます」

どうだろう。胸の奥が光っているような、光っていないような。

「意識をしてもしなくても、いつもあなたの光はこのハートの奥にあります。あなたの本質の光がここにあることをイメージして」。

良かった。意識できなくてもあるらしい。光。それでもなんとかイメージも試みる。

「新緑のみずみずしい木々のエネルギーを引き入れて、一回ハートの奥でキュッと息を止めるような感じにしてまた広げて、また息がハートから出ていく」

これは難しかった。ハートの奥でキュッと息を止める、というのが私にはちょっとわからないのだ。

その後も、私にはどうしてもイメージできないことが続いた。空の金星に向かって、とか、説明されるたびに、金星ってどんな星なんだっけ、などといちいち頭で考え、そのたびにちょっと上の空になってしまうのである。息子の子供向け宇宙図鑑でも読んで勉強しておけば良かった、などと考えてしまうのだ。

太陽や火星、金星や土星に向かって光を届けているところ。

そして、「?」が浮かんだ頭のまま、トモちゃんの誘導に従って体を動かしていくと、もうなんだかとにかく必死、という状態に。なんだかんだと頭を巡らしながらだと、体は思うように動かないし、変に疲れる、ということがよくわかった。

そうこうしているうちにワークはいよいよクライマックス。そこからは「アファメーション※10」の時間である。

アファメーションは自分の願い事を宣言することなのだそう。そして、その願いがすでに実現されたものとして、宣言するときは「〜したい」ではなく、「〜している」「〜した」などの現在形や過去形にするらしい。

私たちの舞っていた庭の真ん中には、焚火スペースが作ってあった。そして、そこで焚火をするのだが、その薪となる木をそれぞれ手にとり、それぞれの願いを木に込める、というのである。

私の頭に真っ先に浮かんだ願いは、家族の幸せ、、、などではなく、どこまでも下世話なものであった。そして、その下世話な願いを周りにいる参加者さんの前で口にしたら、ちょっとウケるかな、などと、私の元来のお調子乗りの部分がうずいた。

私の番が回ってきた。

「今よりも100倍キレイになって、モテモテになる!」

思い切って宣言する私の言葉に、参加者さんたち、そしてトモちゃんは笑ってくれた。

よかった、、、。安堵した私だったが、その後しこたま後悔することになるのだ。

「それでは、それぞれ炎に薪をくべ、願いが叶った自分になって舞いましょう!」

私は舞った。そう、私は今、100倍キレイになったモテモテ女だ。願いのこもった薪で燃え上がった炎をさらに燃え上がらせながら、私は稀代のモテ女として炎の周りで舞った。

写真中央、グレーの服を着てこちらを向いて踊っているのがモテ女になった筆者である。なんだかぎこちない。

ある1人の優しい参加者さんが「キレイよ!」と声をかけてくれる。「もっと、美しく〜!」とトモちゃんからも声がかかる。頑張る私。その周りで、さらに炎を燃え上がらすべく舞ってくださる参加者さんたち。全身から冷や汗と脂汗が流れ落ちた。

今回の「光の舞」ワークショップは私にとって、「スピリチュアル」というよりはむしろ「フィジカル」な体験だったかもしれない。正直、体力が追いつかない、という場面が多かったのである。

それと、自分の、イメージする力、の欠如も感じた。視覚的な能力が足りていないと言おうか。それとも単に素直さが足りないだけなのか。はたまたその両方なのか。

しかし、ワークショップが終わり、参加者さんと共にランチを目の前にしたときの集合写真の私はいつになく顔色が良く、表情も明るかったのはまちがいない。あの瞬間の私ならもしかしたらちょっとだけ、モテたんじゃなかろうか。

取材させてくれたトモちゃん、参加者のみなさん、ありがとうございました!

※1 スーフィー:『世界大百科事典 第2版』には「イスラム世界における神秘主義者、神秘家、アラビア語で羊毛を意味するスーフの語に由来し、羊毛でできた粗衣をまとう者がスーフィーと呼ばれた。」とある。副読本で見た回る男性たちのワンピースがきれいに広がっていたあの見事さはウール100%のなせる技だったのか?

ちなみにスーフィズムは『精選版 日本国語大辞典』には「イスラムにあって神への愛、神についての神秘的な知識、神との合一を特徴とし、禁欲・苦行を重んじ清貧の生活を理想とする立場」とある。もしかしたらあの回転ダンスもそもそもは苦行だったのだろうか、と回転に弱い身としては勝手に想像してしまう。

※2 ホ・オポノポノ:『ホ・オポノポノ公式サイト』には「ネイティブハワイアンの伝統的は問題解決法」とある。また、同サイトにはホ・オポノポノ提唱者のイハレアカラ・ヒューレン博士の「問題の本当の原因は、あなたの内にいるもう一人の自分『ウニヒピリ』がこれまで溜め込んできた記憶です。『ホ・オポノポノ』であなたは、記憶を消去する方法を学びます。」との言葉も紹介されている。

また『講談社BOOK倶楽部』によると「ハワイ語の『ホ・オ』は目標、『ポノポノ』はバランスの取れた完璧という意味」で、

「ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

この4つの言葉を唱えることは、ホ・オポノポノの「基本のクリーニング方法」なのだそう。

なお、ホ・オポノポノについてきちんと調べるためにはネット検索だけでは難しい模様。参考にできる書籍を用意できればよかったのだが、今回は割愛させていただくことに。

※3 シンギングボウル:『国際シンギングボウル協会によると、「​​シンギングボウルとは、「シンギング」=歌う・音を出す、「ボウル」=器のことです。スティックを用いて縁を叩いたりこすったりすることで、独自の癒しの音色、倍音を奏でることができます。

別名、チベットシンギングボウル、シンギングボール、チベタンボウル、チベットボウル、ドニパトロともいわれるシンギングボウルは金属製で、ハンドメイドと機械製のものがあります。

サイズは小さなものは直径数センチから一般的には直径10センチ前後、大きなものは直径100センチ近いものまであります。
シンギングボウルが奏でる倍音とは基本的な音の複数倍になっている振動のことで、心地よさやヒーリング効果があるとされています。」とのこと。

※4 チャクラ:白揚社の『増補版 ハタヨガの真髄(B.K.Sアイアンガー著)』には「字義的には『輪』、『円』という意味。(〜中略〜)身体のメカニズムを調整する役割を担う。」とある。

※5 ウキウキウォッチング:『ニコニコ大百科』による情報では正式名称は「ウキウキWatching」。1982年10月4日から2014年3月31日までフジテレビ系ほかで放送(『CINRA』参照)されていた『森田一義アワー 笑っていいとも!』のオープニングテーマである。

もしかしたら、森田一義と聞いてもすぐにはタモリだとわからない世代が今や多数派なのかもしれない。諸行無常である。そして、タモリもいずれは伝説となり、スピリチュアルな存在として扱われる可能性もなきにしらずなのではないだろうか。

※6 アーシング:「アーシング+スペース+意味」「アーシング+スペース+発祥」などで検索すると上位に表示されるものに「Earthing®Iapan」のサイトがある。そこには、

「​​アーシング®とは、靴やソックスを脱いで、裸足や素肌で地球の大地と直接つながることを言います。私たちの祖先はアーシングをしながら生きてきました。今はアーシング自体が難しくなっています。 アーシングは、電化製品をアースすると同じような原理で、体をアースすることで身体電気を地面に逃し、体の電気のバランスを保ちます。」とあり、その下に「アーシング ®︎は弊社の登録商標です。弊社は日本でアーシング創設者クリントオーバー氏に認可を受けた唯一の会社です。」とある。

クリントオーバーさんて誰?と思って調べると、瞑想のオンラインコースやリトリートなどを提供している「Chopra」のサイトに、

「earth fx inc.代表取締役社長。

ケーブルテレビ業界で30年の経験を持つクリント・オーバーは、ケーブルモデムと、ケーブルからパソコンへのデジタルサービスの衛星配信を開拓した。1998年には、人体を地球に電気的に接地することによる影響の調査を開始した。彼は、地球の電位で体を維持することが炎症を軽減し、体の電気システムの正常な機能を促進することをまとめて実証する20の研究を推進し、支援してきた。

クリントは現在、カリフォルニア州サウザンドパームスにあるEarth FX Inc.の社長を務めている。(『みらい翻訳』による日本語訳)」とある。

なんにせよ、アーシングには本来、®がつくらしい。

※7 オーム:「朝日新聞DIGITAL」によると「アルファベットでは「AUM」と書く。「A」は創造、「U」は維持、「M」は破壊を意味するサンスクリット語で、3文字で「無常」を示す。」とのこと。日本では地下鉄サリン事件などを起こした宗教団体のイメージがいまだ払拭できていない単語なのかな、と思うが、地下鉄サリン事件は1995年のこと。そろそろ本来の意味で浸透し始めているのかも?

※8 NM:Nyou Moreの略。著者による造語である。骨盤底筋群を鍛えることで改善できるらしい。トモちゃんに私のNM問題について打ち明けると「そこ改善すると、いろいろ変わってくると思うよ」とおっしゃっていた。御意。

※9 マルコメ味噌のCMソング:80年代に放送されていたものらしい。

※10 アファメーション:コーチングの元祖、と言われているルー・タイス氏の著書『アファメーション』を出版した「フォレスト出版株式会社」のサイトには『アファメーション』の監修を担当した苫米地英人氏による同書の前書きが紹介されている。以下前書き抜粋。

「アファメーションはアメリカでは、圧倒的な実績があり、かなり使われている技術です。アメリカのビジネスシーン、とくに巨大企業の経営者などは、必ずといっていいほど、コーチがついており、アファメーションの技術を指導されているのです。

〜中略〜

言葉にはある法則があります。

〜中略〜

「普段から「どういった言葉を使うか」「頭の中でどういう対話をするか」によって、その人の人生は自動的に決定していくのです。
それが「言葉の法則」です。

もう一度言いますが、言葉には法則があるのです。その法則を知らない人は、

「幸せになりたい」
「成功したい」
「仕事を大成功させて、大金を稼ぎ出したい」
「周りの人間を幸せにしたい」
「もっと、痩せて綺麗になって、愛される人間になりたい」

と思っても、きっと成功するのはむずかしいでしょう。なぜならこの法則は、無意識レベルで働くために、だめな言葉を使っている人の九九%は失敗するからです。
法則そのものを知り、言葉の法則をうまく利用するための技術が「アファメーション」なのです。(後略)」

ちなみに、苫米地氏はオウム真理教信者のマインドコントロールを解いたことでも知られる「認知科学者」だそう。「科学」って言葉を出されると、私はよくわからないことでも信じてしまいそうになるのだが、それこそ非科学的な行為なのだろう。



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