見出し画像

フィンランド留学記 2006後半編

前回の前編に続き、後編を書いていく。
後期は同年2006年の9月から始まることとなった。

*住居のこと(9月~1月)

前期はフィンランド人カップルと住んでいたが、彼女らとの同居を終了し、後期はヘルシンキ市内の留学生専用のフラットに移り住んだ。
彼女らとの同居を終了した理由は、彼女が大学卒業を迎えたためにヘルシンキを離れ同国中部地域にある実家に戻るためだ。
彼女の引っ越し作業と同時に、私の新しい住居(フラット)への引っ越し作業も彼女の父親が車を出してくれ、無事完了した。
新しい住居は多国籍で、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアからの留学生、そして私とも一人の日本人の計女性6人であった。ドイツ人留学生とはウマが合い、のちに一緒にフィンランド語教室に行ったり、ロシア(St. Petersburg)旅行で行動を共にした。
彼女らと生活を共にした経験は、多少軋轢が生じながらも、誕生日を祝い合ったり、食事を共にしたりと留学生という共通の立場の上で温かみを感じられるものだった。

*授業のこと(9月~1月)

後半は"留学生の自分"に慣れ、言語への慣れとともにだいぶ心の余裕もできた。ヨーロッパ域内からの留学生はほぼ全員が半年のみのプログラムだったから、後半は周りの留学生はほぼ総入れ替えとなった。私を含む日本人については1年間だったのだが、ある西欧から留学生からは、一年もいて何するの?? とも言われたりした。

学校側は一年いる日本人留学生のために、とあるプロジェクトを用意してくれた。同じ学校で当時同時期にいた、私含め3人の日本人が対象だ。
プロジェクト内容は、田舎の小さな宿にお客さんを呼び込むための観光プランを考える、というものであった。オランダ人コーディネーターの進行のもと半年にわたり、そのプロジェクトに取り組んだ。途中、サポートでフィンランド人学生1人もメンバーに加わった。
その宿は、ヘルシンキから東に車で約1時間、人口2000人ほどの村にあった。まずその村の観光資源の調査から始まったのだが、特別に目立った観光スポットがあるわけもなかったから、観光資源の発掘に苦労した記憶がある。何かの天然物(氷河が削った岩だったか?)を求めてぐるぐる森の中を歩き回ったことは覚えている。退屈しのぎからか、他の日本人メンバーがはしゃいでいたのだが、彼女らに後で苦言を呈したことは覚えている 笑
最後に宿のオーナーの前で観光プランのプレゼンを行って、無事にプロジェクトは終了した。

そもそも私の日本での専攻は観光系ではなかったのだが、だからこそ、日本の大学だけにいたら経験しなかったであろうをさせてもらった。留学に限らないが、本来の専攻と違うことをやることに対してマイナスととらえる人も中にはいるだろう。私の場合、この経験が多少きっかけにもなって、新卒で6年間旅行会社に勤めることとなった。自分の趣向を広げる良い機会だったと共に、
プロジェクトを通して、田舎に住むフィンランド人とふれあえたことはかけがえのない経験であった。

*フィンランド人家族との思い出

前期に同居していたフィンランド人カップルの、女性側の家族にとても良くしてもらった。
クリスマスを一緒に過ごさせてもらったり、サマーコテージに行きスモークサウナに入って湖に飛び込んだり。
ある日には、ロシアとの国境付近の墓地にも連れていってくれた。記念碑があり、冬戦争と大きく関わる場所だ。長く続く一本道の先はすぐロシアだ、と教えてくれた。別の日には、当時高校生だったのその家族の次男は、どのようにフィンランド側ソルジャーが戦ったかを私に英語で説明してくれた。熱心に話す彼からは、国のために戦った人々と、国への誇りが感じられた。

当時の私は、フィンランドの歴史的知識が浅く、正直日本から遠い国の出来事にとらえていた。昨今の情勢メディアを通してフィンランドの歴史を改めて耳にすると、その地を実際に踏んだことの責任(大袈裟かもしれないが)を噛み締めている。

*当時は珍しい日本人?

私が行っていた大学には日本語を学ぶクラスがあった。先生は日本に滞在歴があり、日本語が流暢なフィンランド人女性だ。彼女のクラスに呼んでもらい、学生と交流したり、私たちの希望もあって日本文化のイベントを開催したりした。
こんな機会があるとは想定していなかったのもあって小道具不足で、在フィン日本大使館にコンタクトをとり、浴衣などThe JAPANなモノを貸してもらったりもした。
そのイベントは無事喜んでもらえ、ほっとしたのもつかの間、今度はその日本語の先生の知人が勤める高校で日本のことを紹介してほしい、と要望があった。高校の英語のクラスの中で日本の行事などの説明をさせてもらった。
また、そのあとにも、私が通っていた大学の別拠点で、同じように「出張講義」を行った。

先生同士の繋がり(コネクション)もあり、このような機会に恵まれたことは良い経験であり、留学ならではである。
昨今は日本からの学生は増えていると聞くが、当時日本人学生が、各々の地域にいなかったことも当時フィンランドにおける、日本人あるいは日本育ちであることのものめずらしさが強調されていたように思う。

おわりに

記事を書いていると、16年もの前の記憶が思い出されてくる。あれもあった、これもあったと収集がつかなくなる。
書きたいトピックは他にもあるのだが、また別の機会にして、今回は終わりたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?