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フィンランドという国を選んだあの時 ②

前回その①の記事では、2005年当時の自分が、交換留学先にフィンランドを選んだところまで書いた。その後のことを少し書いていく。

交換留学に実際に派遣されるには、まず学内選考があった。
書類審査(成績・応募書類)と、面接の2段階だ。
1つの派遣先に定員以上の申し込みがあった場合は、この選考結果により派遣者が決まる。仮に定員内であっても、何らかに理由で難しいと判断された場合は行くことができない。
私が応募したフィンランドの大学への応募者数は多くはないと予想されたが、私は選考に合格する自信がなかった。なぜならその大学に設けられている基準の英語のスコアを満たしていなかったし、留学がしたいと思ってから応募までのスパンが他の人より短く、動機に説得性を持たせられるかの不安があったからだ。(熱意のある人は1年位前から応募に向けて計画的に準備をしていることを知っていた)
半分ダメもとに近い形であったから、親に応募することの報告もしていなかった。

*書類審査合格の連絡を受ける
一次の書類審査が通ったら、2次の面接に進んでもよいか親に相談することにしていた。なぜなら私費留学より安く済むとはいえ、交換留学でも渡航費は自己負担だし、渡航時期的に卒業を遅らせる場合、追加の学費もかかると予想されたからだ。経済的なことは親に頼っていたから、さすがに独断では決められない。それに海外に無縁でパスポートも持ったことがない親は自分の子供が一年海外に行くかもしれない(しかもどこにあるのかすら曖昧な知名度の低い国に)となると反対しても無理はないと考えていた。でも書類審査にせっかく通ったのだから..とOKしてくれることを期待した。

*あっさりok
書類審査には通ったこと、また渡航する場合の費用について、帰国後卒業までのプランとともに簡単に説明をした。意外にも、親はあっさりOKであった。多国籍な学生がいる大学であったから、こう言ってくることに多少は覚悟があったのかもしれない。
拍子抜けしたが、何はともあれ無事に次の面接に進めることに喜びを感じていた。

*学内面接を受ける
2次選考である、学内面接を受けた。
留学担当職員とのマンツーマンの面接。詳細は覚えていないが、動機を話す中で"自分のなりたい像に近づくため"のようなことを言ったのはなんとなく覚えている。

*無事に合格
無事に合格することができた。
正直半分ダメもとの気持ちであったから、実感が沸かなかった。
英語のスコアについては渡航までに頑張って到達してもらえばいいということだった。

*寛容なフィンランド?
2006年1月に渡航するまで、必要とされる英語のスコアは満たす必要があったが、結局私は満たすことができなかった。それにも関わらず、留学担当職員から「問題なく行くことができます」と最終結果通知を受けた。
あれ、意外と甘いのね?
と少し拍子抜けしたが、実は渡航先大学によってはスコアを満たさない場合は受け入れ側がNOと判断する場合があるようだ。
(実際に、スウェーデンの大学に応募し合格した知人は、渡航直前期、スコアが足りず行くことができなかった)

あとで知った話だが、私の日本の大学と、渡航先のフィンランドの大学は交換留学の協定を結んだばかりで、私が派遣第一号だったそうだ(厳密には私ともう一人同期がいた)実績を作るため、といったら聞こえが良くないかもしれないが、少しの寛容があり、英語の点数には目を瞑ってくれたのかもしれない。
もしくはスコア(test)が全てではないというフィンランド人の教育観が働いたのか。今でも謎なところである。
色々な偶然と縁があり、私はフィンランドへ一年間行くことを許された

次回は渡航してからの事を書きたいと思う。

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