見出し画像

フィンランドという国を選んだあの時 ①

あれは確か2005年のことだったか、大学3年生になり、周りがなんとなく、就活を意識しだしたような空気を感じていた時だった。
「就活するには時期が早すぎるのでは」という世間の論争が起きるまえだったから、大学3年生なったばかりの学生でも就職活動に向けて動き出している友人は少なくはなかったように思う。
一方、自分が社会に出ることのイメージを持つことができずにいた。入りたい業界はあったものの、地に足を付けた現実的なものではなく、どちらかというと憧れに近いものだった。その憧れの業界に対して数カ月で現実のものにさせることができるのだろうかという不安、できなかったときの自分への失望、そしてそもそもそれは本当に自分がやりたいことなのかという疑問。色々な思いが錯綜しながらも、一度置かれている環境を取っ払って、自分を見つめなおす時間を持ちたいと考えた。

ある日、ふと、それまでには自分には縁がないだろうと避けていた、大学の交換留学生募集のページを開いてみた。大学3年生の6月ごろだったか。
そこには、翌2006年から渡航の応募可能一覧大学(2次募集)が載っていた。2次募集とは、1次募集で埋めることの出来なかった渡航先について再募集を行うものだった。人気のある国は、競争率も激しい上に一次募集の段階で定員が埋まることを想像すると、2次募集では必然的に、留学先としてはパッとしない国(人気のない国)が残ることになる。
2次募集一覧の中に、フィンランドの大学があった。

今でこそ、フィンランドはとりわけ日本人女性に人気で、デザイン、教育、福祉の分野でよく知られている。
しかし2005年当時はフィリピンとよく間違われるくらい、日本人にとっては存在感の薄い国であった。(ヘルシンキを舞台にした映画「かもめ食堂」は翌年2006年の公開である)私はそんな国の大学への応募を決めるのだが、その理由は次のようなものである。

1. 日本にとって馴染の薄い国であっても、確かにその国はあり、人が暮らしている。そんな国のことが知りたいし、日本のことも知ってほしい
2. 英語圏では得られない、現地語習得への期待と福祉国家社会を学ぶこと
3. 自分の興味のある分野が設置されている

3については、募集大学一覧の中で、英語で学べることを条件として、2つが該当した。一つがフィンランドの大学で、もう一つがオーストラリアの大学だ。
後者については、国として馴染みがあり想像ができた。どうせ行くなら、、と未知なるフィンランドの方を選んだのである。

当時はフィンランドのことを知る人が身近にいなかったし、ネットの情報も十分に存在しなかったから、果たして20歳女単身で渡航して治安はどうなのか、食べ物は合うかなのかという不安はあった。
この時に頼りになるのは自分のそれまでの経験と勘である。

高校時代にフィンランドに留学していた人を知っていた
私の通っていた高校は英語科で、高校を休学して海外に一年間留学する人も何人かいた。一個上の先輩で、フィンランドに留学していた人がいたのだ。
おそらくどこかの留学斡旋機関を通じていたのだと思うが、
高校生が留学しても大丈夫な安全な国だというイメージが自分の中のどこかに刷り込まれていた。
だから、きっと自分も大丈夫、という変な自信がフィンランドを選択することへの後押しするものとなった。 
よく「良くフィンランドを選んだね」と行ってからも帰国してからも様々な人に言われたものだが、理由はそういうことだ。

応募してから先は書類審査、その後学内面接とあるが、また次の機会に書くとする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?