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お前が頑張れよ【#56何があってもマイペンライ!】

小学生の頃、少年野球クラブに所属していた。そのクラブでは学年ごとにチームが分かれており、1学年上にはその地域でも有名な豪腕ピッチャーがいた。

私たちが5年生のある日のこと。6年生チームが午後から練習試合をすることになっていた。

お昼休憩をしているとき、3年生の子がその豪腕投手に向かって「試合、頑張ってください」と声をかけた。

3つ上のエースに話しかけられるなんて、すごいと思った。エースは当時から身長が高く、オーラがあった。私は一度も話したことがなかった。

ところが次の瞬間、言葉を失った。エースは3つ下の後輩にこう返したのだった。

「お前が頑張れよ」

言葉も火の玉ストレートかよ。3つ下の後輩が勇気を出して話しかけたのにその態度かよ。

それ以来、私はますます彼が怖くなり、結局卒業まで一度も話しかけられなかった。野球はうまくても性格悪いのはどうなんだろう、と思っていた。

ところが最近になって、彼の言葉の意味が分かるようになってきた。

私も中高の部活で後輩から「頑張ってください」と言われる経験をした。大学でタイへ留学するとき、去年世界一周の旅に行くときも友人から「頑張れ」と声をかけられた。

応援されるのは、総じて嬉しい。ただ気づいてしまった。声をかけてくれる人によって、言葉の重みが大きく変わってくるということに。

たとえば、ある人に「頑張れ」と言われて、私は心の中で「サンキューな」と思う。でも別のある人に「頑張れ」と声をかけられると「ありがとう。応援してもらえて嬉しい。いやー、パワー出てきたわ。やってやる!」。これくらい違うのだ。

では、その差とはなんなのか。どんな人に応援されると、より嬉しいのか。

頑張っている人だ。

何かを頑張っている人に「頑張れ」と応援されると、大きなエネルギーが湧いてくる。その人自身の日頃の努力が「頑張れ」という言葉に重みを与えるのだろう。自然と、心の底から「頑張ろう」と思えてくる。

世の中には応援する人と応援される人がいる。そう見えるが実は、大きな声援を送れる人とは、大きな声援を受けている人なのだ。

頑張っている人の一言はとても重たい。さらに言えば、一言も声をかけられなかったとしても「あいつも頑張ってるし、自分も頑張ろう」と勝手に刺激をもらうことさえある。

応援できる人になるには、自分自身が応援される人でいなければいけない。



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