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『百万年の船』世界史に眼を向けさせてくれた大河SF

こういうお話です


不老不死の人々が古代から遠い未来まで生き抜く様を描いた群像劇であり、大河SF小説です。

何らかの原因でごくまれに生まれる不老不死の人間。いろいろな時代にそのような体質の人間が生まれ、彼らはその特質を隠して何千年も生き抜きます。一人一人の葛藤がオムニバス形式で綴られるのが第1,2巻。古代ローマ、平安時代の日本、宰相リシュルーが権勢を誇っていたフランス、開拓期のアメリカ合衆国、大戦中のソビエト連邦、冷戦後のアメリカ合衆国などなど。それぞれで不老不死の人間が必死に生きている様が描かれます。しかし第3巻は雰囲気が変わり、それだけで長編小説の態をなしています。

事実上の主人公は、不老不死の体質に生まれてしまったフェニキア人のハンノ。フェニキアは古代ローマ帝国が絶頂を迎えていたころに商業国として栄えていた国です。今日の我々が日常的に使っているアルファベットは、もともフェニキア人が諸国との商談を進める必要から作り出したとも言われています。ハンノ自身も商才に恵まれ、時代時代でいろいろな国に移り住みながら商人として活動し、財産を作っていきます。その財を活用して分子生物学研究所を作り、ついに不老不死をもたらす遺伝子を特定します。

この過程で、バラバラだった他の不老不死人たちも徐々に集まり、遠い未来において一つのコミュニティを作るのですが、そのころ社会は…

歴史の面白さに気づかせてくれた

過酷な自然や激変する社会情勢などに苛まれながらも逞しく生きている不老不死人たちの葛藤を描く第1・2巻の各編はどれも読み応えがあります。端々に登場する役職名や地名そして人物。

遠い昔、中高生時代に世界史の授業中に聞いたことがあるような言葉が登場します。当時の私は世界史が苦手でした。とにかくつまらなかったという感想しかありません。当時の私には、なんだか意味不明な年号や専門用語を延々記憶することを強いられる授業でしかなかったのです。

でも世界史は元来そういうものではありません。
人類が葛藤してきた軌跡であり、それぞれの時代・地域で人々が葛藤を続けた結果うみだされた因果関係の鎖。それが世界史の実体というべきでしょう。無味乾燥な知識の断片の束ではなく、一つのストーリーとして見なければならなかったのです。

この小説に出会ったのは大学院時代の後半。そんなときに至ってやっと世界史の面白さに気づくことができました。

社会とは? 人生とは?

第3巻に入ると、小説の様相は一変します。2巻で21世紀初頭、つまり過去から我々が生きる「現代」まで進んだストーリーは、ここでいつとも明かされていないはるか未来の世界に一気に飛びます。2巻の終わりで解き明かされた不老不死の謎は、究極のアンチエージング技術に結晶して全人類に恩恵を与えました。つまり、もはや全人類が不老不死。また、ナノテクノロジーも究極の進化を遂げ、物質的な不足に苛まれることももはやありません。天国のような世界が実現したのです。

しかし、そんな世界でのハンノたち「元祖不老不死人」たちの日常は、必ずしも幸福なものではありませんでした。永遠に続く天国の中で居場所をなくしてしまったのです。結局、彼らは一緒になって恒星間宇宙船を作り地球と決別してどこまでも宇宙の旅を続けることを選択。しかし、その宇宙船の中で、全員が互いに仲良しで有り続けることはできず…。

2巻の終わりで読者はハンノと一緒にある種の達成感に浸ることができたのです。「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」で終わるのだと読者は期待します。ところが作者はそんな甘い結論付けを許してくれないのです。

なんと人間とは因果な生き物なのか。人生とは、社会とは、幸せとは。あなたが信じるそれは本当に正解だと言えるか? そういう重い問を押し付けなられながら読み進めることになります。

この展開には賛否両論あることでしょう。受け付けない人も少なくなかろうと思います。しかしそれを含めて私がこれまでに読んだSF小説の中でも屈指の「印象に残る作品」であることは間違いありません。

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