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3月12日 夜の散歩

 あれから10年。色んな人からこぼれ落ちる体験のかけらを読んで、今だ影を落とし続ける出来事を思い返す。あのとき、僕は西新宿のドトールでコーヒーを飲んでいた。まさに一口目を口に含もうとした時に、大きな揺れがやってきた。悲鳴。食器が落ちる音。持っていたカップからコーヒーがこぼれないようにバランスをとろうとしたが、だめだった。変に冷静だった僕は、どうするのがいいか思案しているうちに、店内に一人取り残されていた。今でも鮮明に覚えている。

 今日は風のない静かな夜なので、近くの川沿いを妻と共に散歩に行くことにした。小さな蕾をつけた桜の木や、白い炎のように咲くハクモクレンを見ながら歩いた。川沿いに並ぶ樹木を見ると、太い幹がグロテスクなものとして目に映った。まるで、筋張った筋肉のような。腕や足が、大地から伸びているように見えた。頬に一粒、雨。僕たちは足早に帰途についた。

 ふと、メキシコの詩人オクタビオ・パスの詩を思い出す。いや、思い出しきれず、本棚から持っている詩集を探し、ページをめくった。

一本の樹木がぼくの頭の内側に生育する。
一本の樹木が内に向かって生育する。
その根は静脈、
その大枝は神経、
思想はそのもつれた群葉である。
きみの一瞥がその樹に火を放ち、
その陰の果実は
血のオレンジであり、
炎のザクロである。
その身体の夜の中で夜が明ける。
そこの内部で、ぼくの頭の内部で
その樹木が話しかける。
もっと近寄ってごらん
――聞こえますか?
 
 オクタビオ・パス『内部の樹木』

 この詩を読んだ時に、自分の内部に樹木を感じた。言葉によって、存在しえないものが存在するようになった。いや、その存在を感じるようになった。リアルを超えたリアリティを生み出す言葉が詩なのだなと思った。

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