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3月24日 失った色

 夜も更けたころ、妻と夜桜を見に出かけた。まだまだ満開ではないけれど、やわらかな綿のような桜の花が夜風に揺れていた。花びらの間には月がぼんやりと丸い光を滲ませて浮かんでいた。川沿いを歩いていて、常夜灯の近くにある桜は他の場所よりも花を咲かせるのが幾分か早いように見えた。人工の光や熱であっても、花の生育に作用するのだろうか。

 梶井基次郎は桜の下に屍体が埋まっているという幻想にとりつかれたという掌編を書いている。この作品を読んでから、僕の中の桜の木の下には屍体が埋められてしまった。困ったものだ。
 ただ、美しいものと残酷なものの対比は、桜の色に深みを与えた気がした。補色、というのだろうか。色だけでなく、すべてのものごとには、補色関係が与えられたときに本当の美しさが生まれると思った。

 真冬に飲む温かいコーヒー。夏の炎天下で食べるアイスクリーム。傷ついた時に聞くメロディ。など。

 僕は若かりしころ、とてもとても悲しい気持ちになって、眠れずに夜通し町を彷徨ったことがある。明け方、僕はどこの川だったか、濁った水が流れる小さな川を渡す橋の上で、欄干にもたれて煙草を喫っていた。夜が明ける直前、微かに暗い夜が白みはじめる頃、汚い川がとても美しく見えた。その光景は今でも鮮明に覚えている。あの時に汚い川を美しく見せた、色。多分僕はもう失ってしまっているのだと思う。それが残念なことか喜ぶべきことかはわからない。

 

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