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《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.59

課題6:令和の静岡県につけるキャッチコピー
・日本のてっぺんからは、どんな時代が見えてますか?

しずおかコピー大賞の応募締切は来週に迫りました! そして、あたかも計算されたように本シリーズの最終回が訪れます‼︎ 

実際には、書き始めたのも計画的にではなかったし、書き忘れたり、間を短くしてみたりとなかなかペースもつかめず、最後まで書き続けられるかもわかりませんでしたから、よくここまで来られたなと思います。

シリーズ59回、それでは批評に入ります。

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改元という日本の歴史的なドキュメンタリーを前にして、令和最初を飾る初日の出を拝むようなダイナミックな気持ちで書かれています。

日本のてっぺんといえば、(高さでいけば)やはり富士山。ステレオタイプに引っかけつつ、静岡県(または県民)は新しい時代をどのように闊歩していくのか!?大きな期待が込められています。

あー、このときは、まだ希望が見えていたんですね。今となっては、実に清々しい。書いた人の純粋さと静岡県民らしい呑気さが、読み手には十分に伝わります。

でも、静岡県のポジションが『てっぺん』という表現とシンクロしてこないのが気になりますよね。

そこには、日本一がたくさんありながらもその事実を認識していない地元民と、マーケティングでも重宝するアベレージ(平均的)感覚、ナンバーワンよりナンバーツー的な無責任さが隠れているからこそ、『てっぺん』の気分には至らないという自虐を感じます。この辺りの気恥ずかしさが、しずおかコピー大賞では入賞に届かなかった原因にもなっている気がします。

他のコンテストであれば、スケールがでかいとか、読後の感じがいいとか、賞の名前にもなっている偉い人たちが喜ぶとかいう理由もあって、入選する可能性が高い書き方だと思います。しかし、しずおかコピー大賞は、地方で活動するコピーライターが予選で選ぶこともあり、ロマンだけでなく「実際に地元で使えるのか?」とか「人の心が動くのか」「コトバだけで、人を行動させられるのか?」という実用面まで検討する審査員も含まれています。

これらを総合的に考えたとき、本コピーの表現には(入選には)何かが足りなかったのだと思います。(この課題が静岡県しばりでなければ、また違っていたと思いますが。)

この作者はコロナ禍の景色を、どんな風に見ていたのだろうか? そのことを聞いてみたい気がします。1年前に書いたコピーのように、大いなる希望が見えていてくれたら。ニューノーマル時代が訪れる今こそ、静岡県に大いなる希望のコピーを轟かせて欲しいと思います。


※コピーの版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。(第11回SCCしずおかコピー大賞のご応募も受付中!)
https://shizuokacc.com/award/


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