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コンピュータの父ジョン・フォン・ノイマン

前回、「原爆の父」オッペンハイマーの科学的成果を触れました。

マンハッタン計画の科学責任者に選ばれたオッペンハイマーは、天才たちを集めて原爆の開発を進めます。

大きくは、原料であるウラン(&プルトニウム)を精製するチームと、爆発を設計するチームです。

そして後者でリーダー的存在となったのが、ジョン・フォン・ノイマンという科学者です。(タイトル画像は当時の二人。出所はWiki「ノイマン」)

ノイマンは、プリンストン高等研究所に若くして終身教授となりましたが、並行して軍関係の仕事にも従事していました。
そこでは主に、爆発を効果的に拡散する実用的な方法を研究していました。

原子爆弾にも、初期には2つの方法が考案されていました。広島に投下されたタイプを「ガンバレル型」、長崎を「インプロージョン(爆縮)型」と呼びます。後者のイメージ図を下に紹介します。

出所:Wiki「爆縮レンズ

爆縮レンズと書いている通り、球面から均等に発火して中心点に圧縮させることで核分裂を生じさせる(臨界点に到達)仕組みです。

少しでもムラがあるとうまくいかず、複雑な配置が必要とされます。

ノイマンはそこにZND理論という物理学も駆使した新たな計算方法を編み出して、担当チームはその複雑な数値計算を「手動」でやってのけました。

このように戦争を通じて計算のニーズが急速に高まり、ノイマンは計算機の開発に関わっていきます。

陸軍では特に弾道計算で計算機が必要とされ、計算機開発担当者がたまたま遭遇したノイマンに相談すると、(上記背景もあったのか)色々と助言してくれました。

結果として誕生したのが、ハードウェアとソフトウェアを独立させることで柔軟に計算方法を変更することが出来る方式です。

初号機はENIACと呼ばれ、これが、今のコンピュータアーキテクチャとして採用されています。これが「コンピュータの父」と言われるゆえんです。

出所:Wiki「ノイマン型」

但し、英国から見るとこの話には異論があるかもしれません。

以前に何度も登場した「アラン・チューリングこそがコンピュータの父」である、という主張です。

実はこの二人、一度接点があります。

チューリングは、上記記事で発表した「チューリングマシン」に関する論文が高く評価され、1930年代に一度プリンストン高等研究所に招聘されています。

そこで知り合った一人がノイマンで、彼もチューリングの能力を高く評価して、助手としてとどまるようオファーをしました。

チューリングもノイマンの能力は高く評価していましたが、当時は母国がナチスの侵略に脅かされている時代でもあったのか(愛国者であったといわれています)、英国に戻る道を選びます。

そして、彼も計算機に興味を持ち、ナチスの暗号解読を担う極秘ミッションに取り組むことになります。

その場所で開発されたコロッサスという計算機は、ENIACよりも早かったともいわれますが、それよりもチューリングマシンという概念を生んだことが計算機誕生に貢献したのは間違いないところです。

まさにコンピュータを生んだ双璧をなす二人ですが、その後の人生の岐路は二度と交わることはなかったようです。

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