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BB ⑤ ~自分の場所~

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自分の場所
 
 その後しばらくたったある日。
 学者犬は、ネットの外ではなく、ネットの中で、北京犬のさらなる秘密を知ることになった。
 北京犬が、ネットの外で人間に捕えられた動画を、ネットの中で偶然にみたのだった。
 その動画は、こんな風だった。
 
 野良犬だった北京犬が、土日に警察に「おとしもの」として拾われた(捕獲された)。
 そして北京犬は、動物保護センターへと輸送された。平日なら保健所→動物保護センターというコースなのだが、警察を経由したということにはなんらかの意味があるのかもしれない。
 いずれにせよ、それは、野良猫とは違う野良犬の宿命だった。
 日本では、ネコは野良猫が認められるが、犬の野良犬は認められない。それは、犬が選んだことではない。なので、犬よりも猫が自由に発想し動くというイメージはまちがっている。犬は、選べないのである。そう決めたのは人間だ。人間は、法律で猫の自由を、少しだけ認めたのだ。
 ネコは自由でいい。だが、それは、ネコが選んだものではない。いや、もしかしたら、イヌが自由になると「やりすぎてしまう」から、人間がそういう制度にしたのかもしれない。つまり、イヌは不器用で、ネコは「上手な自由人」だ。
「上手な」は、言葉をかえれば「ずるがしこい」ともいえる。
 もちろん、「少し」自由なネコには、一定の責任がつきまとう。自分でえさをとったり、敵や災害から身を守ったりしなければならない。一部のネコは強く賢く、ヒーローになるかもしれない。かよわく優しいネコだったらヒロインになったりするかもしれない。また、一部のネコは、上手に、人間の半分飼いネコとなり、生活の安定を図る。一方、どんながんばりも実を結ばずに、一人寂しく死んでいき、化け猫になるものだっているだろう。
 今、ネコの物語が多いのは、その制度がきめたネコの「限定的な」自由さが、ちょうど今の時代の人間の生きざまに似ているからかもしれない。そう、今の時代の人間には、見えない首輪がまかれているのだから。
 でも、必ず本物の首輪をつけて飼い主につかなければならない犬にだって、イヌの物語があるのだ。
 北京犬は、最後のとき、心の中で、麻酔薬→筋弛緩薬→窒息、という安楽死を望んでいた。だが、「犬は選べない」のは、最後の時まで、一緒だった。実際とられた方法は、二酸化炭素を高めた部屋にいれられ→CO2ナルコーシス→窒息、という方法だった。
 眠りこみながら、北京犬は思った。
「世の中には血と泥しかない、というわけではない」
 
 誰が撮って投稿したのかは、わからなかったが、北京犬の死のときの様子を、学者犬はネットの中で知った。
「そうでなければ、北京犬が、このネットの世界で、カーソルマスコットになるはずがない」
 北京犬は、死んで、カーソルマスコットとなって、パソコンの中の世界にやってきたのだ。
 そして、その考えは、学者犬の、自分自身についての、おそろしい考えに結びついた。
「ということは、ぼく自身も、既に死んでいるということなのだろうか?」
 学者犬は、自分がずいぶん長い間、パソコンの世界をさまよっていたことを思い出した。
 そして、ひさしぶりに、自分の飼い主のBBの部屋のパソコンに顔をだした。ところが、家中を探したが、BBの姿は、そこにみあたらなかった。
 学者犬はパソコンからもとの世界にもろうとした。
 だが、できなかった。
 後悔してもあとのまつり。
 現実から、パソコンの中への脱出は、片道切符だったのだった。
 どうしよう?
 どうしようもない。
 だが、「ショーガネーゼ」を食べることがなかった、学者犬には、そのような結論をだす思考回路がなかった。
 そこで、学者犬が思いあたったのは、かつて北京犬が言っていた「カーソルマスコットソフト」の開発者である、ナオトに会いにいくというものだった。



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