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物流の謎と温故知新

#foodskole 「2021年度前期Basicカリキュラム」
「食」に夢を持てる社会を創りたい
第四回目の授業は5月25日火曜日、「野菜は誰かが運んでいる。」
この授業の課題は、実はよく知らない「食べものの物流」に触れる。
講師は、やさいバスの梅林泰彦さん。

今回は、いろいろと考えることがあり、テーマも身近なのにまったく知らないシステムのことでもあったので、授業前の質問も授業中の意見もとても活発だった。
50代である私世代が昔はこうだったなあと感じることが、今再び脚光を浴びている様子もあった。
でも、昔あったことが今ないということは、それなりにシステムに問題があったから廃止されたものも多い。
人との距離が多様化し、家に常に人がいないことが田舎でも当たり前になっている時代に、昔あったシステムをもう一度見直したいという意見が若い人に多かったことは、注目すべきことだと感じる。
今回は、授業を終えてすぐの雑感を交えて、メモがわりに掲載する。

野菜流通の現実(授業のまとめ)

食べ物の物流について、野菜ほど鮮度が問われるのに、不思議な流れになっているものはないと思う。
東京都中央卸売市場のHPに、青果の流通のしくみが説明されている。

生産者を出発する野菜は、常に消費者の手に届くことを見越して収穫される。食べごろを収穫する方が美味しいはずだが、生産者は流通の日数を計算して、消費者の手に届くころに完熟するように収穫する。
まだ熟していないうちに収穫された野菜は、農協の選果を経て、一度都会の中央市場に行き、いろいろなルートをたどり、消費者の手元に届くのは収穫後2日3日経った頃だ。その野菜が売れ残ったときは、また別な地域に移動する。場合によっては、収穫された場所に戻ることもあるらしい。
その間に野菜は、冷やされたり常温に戻されたりと忙しい。トラックに積載されている間は冷やされていて、市場では常温にさらされる。温度管理されているようでされていない。
最終的に私たちがスーパーの店頭で見る野菜。例として見せてもらった店頭写真は、1本18円で販売されるきゅうりがまるで鉛筆売り場のように全てがまっすぐで美しく整然と陳列されている。
しかし、きゅうりをまっすぐにピカピカにする努力も、その時点でおいしく食べることができるような努力も、この1本18円に反映されているのだろうか。単純に生産者がそのコストを持つような仕組みになっているおかげで、私たち消費者が安く野菜を購入することができることを知る。
物流に乗ることで、生産者が得る利益は4割を切るとのこと。

野菜に限った話ではないが、商品が生鮮食品であるという前提があるとすれば、収穫された土地を離れて都会に一度集められて卸されるというシステムは、非常に非効率であるといえる。
生産者が直接販売する仕組みも、地産地消の名の元で最近は珍しくなくなってきた。
しかし、直販するにしても消費者の手に届くための物流を、誰が担うのかが大きな問題である。生産者は畑の作業を終えて、野菜を洗い、梱包して、消費者の元に届けなければならない。
これらの問題点と、それをひとつ解決するシステムを提案しているのが、この授業の主軸だった。

物流の発達で野菜の旬がなくなる(回想と雑感)

そもそも、一年中新鮮な野菜を食べられるようになったのは、いつのころからだったろうか。
50年前に亡くなった祖母は、死の間際に「スイカが食べたい」と言ったそうだが、祖母が亡くなったのは冬の北海道だったので、その希望は果たされなかった。今だったら祖母の希望は叶えられたかもしれないが、そのためだけに冬の北海道にスイカを流通させる必要はないと思う。
自分の体験から考えると、外食産業の隆盛と食の多様化が家庭にも浸透したことで、あらゆる食材が常に店頭に並ぶようになったように思う。ハンバーグの付け合わせにはニンジンのグラッセ、野菜サラダにはレタスときゅうりとトマトがきれい。今まで食卓に上ることのなかった盛り付けのプロトタイプが定着し、それらの食材がないとそのメニューが成り立たないような、そんな時代があったように思う。
ハンバーグになぜニンジンのグラッセじゃなければならないのか。そうじゃなくてもいいということに気づくまで時間はかからないまでも、ニンジンをくたくたに醤油で煮崩さなくてもおいしく食べられるという食文化は定着したように思う。ニンジンを“いつの季節でも”生で食べるようになったのだって、つい最近のことだ。

そのうち、曲がって白く粉をふいていたきゅうりは、まっすぐに矯正されピカピカになった。トマトはみんな同じ大きさになったし、ナスは茶色の傷が消えヘタに痛いトゲがなくなった。いちごの旬は初夏だと思っていたが、今時は冬がいちごの最盛期らしい。冬に箱買いしていたみかんも、今では一年中食べることができる。
それ以前に、昔の野菜はみんな土がついていた。キャベツには穴が開いているのが普通だったし、中の葉に虫がいることもしょっちゅうだった。
それらを綺麗にすることで、私たちが寄生虫に害されることも少なくなった。
でも、それらを綺麗にしているのは誰なのか。そういう作業は本来必要なのか。このあたりは、授業day9でやるだろうか。
昔よく食べていた野菜の種類は姿を消し、流通や販売に都合の良い種類に置き換わっていった。
きゅうりもナスもトマトもセロリも、昔食べていた種類は、逆に今食べることが難しくなっている。地元の在来種の野菜が珍しくなったのも、このあたりに関係しているのではないか。

スーパーでも、地元産の野菜を扱うコーナーができたりと、昔と比較すると地元の野菜をよく目にするようになってきた。
私の行っている生協の店舗では、地元の旬の食べ物を積極的に扱うことで、一年中目にする食材でも季節を感じることができるような取り組みがなされている。
野菜は土からとれる食べ物であること。食べられない時期があることを認識することは、とても重要であると痛感する。

人の善意とつながりを信じていた物流(授業で出た意見と問題点、回想と雑感)

生協と宅配便
昔、生協の品物は、集落のとりまとめの人のところに集められ、そこにそれぞれが取りに行くという形態をとっていた。やさいバスのシステムがそれに近いという話をしていたときに出た意見だが、生協は今では完全に個別配送になっている。
宅配便も同じで、昔は留守のときには近所に荷物を預けていた。20年くらい前までは私もそうしていた記憶がある。
それがなぜなくなってしまったのか。

大きな要因は個人情報

生協の場合、何を購入したのか知られてしまうという心配がある。今でこそ中身がわからないようになっているし、置き配でも直射日光を防ぐことができるパッケージもあるが、ほんの20年前はリターナルのプラスチックの箱に入って配給されていて、箱に蓋はついていたけど簡単に中身がわかってしまう仕組みだった。
今でこそ、コンビニエンスストアに行けばなんでも売っているが、昔は夜8時以降に営業しているのは飲み屋くらいだった。なんでも手に入る店がない地域だってある。人に知られたくないものを買わなければならないことも多く、生協の共同購入にはそういうプライバシーは確保されていない。
宅配便の場合、荷物に中身や取引先の会社名が書いてあることで、容易に中身が知れてしまうという問題があった。実際、隣の家に預けられた品物がアダルトグッズと外からわかるような仕様で、宅配便の近所に預けるシステムが問題になったニュースを記憶している。

もっと昔だと、共同購入することで人数で割引率をあげるため、必要ないものの購入を断れないということもあった。
共働きの家庭だと帰宅が夜遅くなって、荷物を取りに行くのがはばかられる時間になることもある。そうして、何日も取りに行けないケースも出てくる問題もあった。
生協の取りまとめをする人は特に報酬があったわけではない。でも、荷物を預けておいて、それが当たり前だと思う人も出てきた。

これは生協、宅配便に共通するが、冷凍や冷蔵のサービスがはじまり、荷物を預かっても保管に困るケースがでてきた。保冷バッグに入れても、何日も取りに来られない人があるようでは、品物の品質にもかかわってくる。

そんな問題があちこちで出てきて、特別に依頼されない限りは近隣に預けるということはなくなっていった。

直売無人スタンド
田舎によくある野菜の無人スタンド。このシステムも人の善意を信じるシステムで、やさいバスでも実験導入していると話が出ていた。
私の住む神奈川県藤沢市の北部では、この無人スタンドが現役であちこちに存在する。そして、あちこちで盗難さわぎが頻発していて、無人スタンドに盗難防止センサーがついているところも少なくない。

実際、やさいバスの集金箱は無事でも、市場の中では頻繁に盗難がおきている事実もあるとの話。人が少ないところでは特定されやすいけれど、人混みの方が行動がわかりにくいということなのか。

人の善意のバイアスは人それぞれだし、人によっては昔ながらの人情もおせっかいに感じることもあるかもしれない。
しかし、システムとして問題はあるものの、現在の発達した梱包技術や、防犯システムが有効に作用するのであれば、昔あったシステムを今に活かすこともできるのではないかと思う。
何より、直販という形で得られるメリットを発展させることで、不思議な物流の形が改善されて、地元なのに地元の野菜が食べられないということはなくなると思う。

物流は欲望ででてきている(雑感)

今回の授業は、いろんなことを思った。
一番印象的だったのは、「物流は欲望でできている」という言葉。
でも、消費者の欲望がなかったら、世の中はこんなに便利にはならなかったはず。便利を知ってそれがあたり前になっているところから不便に戻るのは、それが消費者の任意があるからこそできるというのが、今の日本のサービスなのだろう。不便というのは、わりと想像しない細かいところまで不便なのだ。
明治生まれの祖母が、それまではもったいないと2枚重ねのティッシュを1枚づつはいで使っていたのに、ある日お茶をこぼしたときにいきなり数枚のティッシュを箱から引き出しテーブルをふいたときの衝撃を、私は今でも忘れない。
人は便利になれてしまうと、いきなり不便には対応できないのだ。

それでも、消費者の欲望と供給者のサービスのいたちごっこを、そろそろ整理する時期にあるのではないか、というのが今回私が思った全体の感想だ。
いきなり全て不便にするのではなく、何が必要で何が必要でないのか。問題と照らし合わせて改善していく取り組みが、少しずつだけど浸透してきているような気がする。
何より、便利が当たり前の若い世代の人たちが、過剰すぎる便利に疑問を持っていることが興味深い。私たちにはそこまでの便利がなかったから、あそこに戻るということに時間がかかるかもしれないけれど、便利を発展させるだけが当たり前だと思うことに疑問を持てることが、ある意味うらやましいとさえ思う。

農協出身で、後に独立してスーパーマーケットを営んでいた父が、バブル後の不景気で店舗を維持できなくなったときに、過疎化する地元の住民に対して店舗なしでの販売を考えていたこと。
今、私の地元は相変わらず老人ばかりの住宅地で、車でほんの5分移動すれば生産地の直売所があるのに、公共の移動手段がないためそれを利用できないでいる。
父は2018年に亡くなったが、今、やさいバスのようなシステムで新しい動きがあることをどう思うのか、父の意見を聞いてみたいと思った。




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