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僕らの表現はなぜ相手に届かないのか。「伝える」と「伝わる」のちがい

先週末、ぎふメディアコスモスを会場として開催されている「メディコス編集講座」で、グリーンズのスズキコータさんに声をかけてもらい、ゲスト講師をつとめさせていただいた。

テーマは「写真も撮れる編集・ライターになるためのインタビューカットの撮り方」。

そもそも自分ができてるのか?!とツッコみたくなるお題で恐縮しつつ、あとぎっくり腰でうめきつつ、いざ岐阜市へ。

まずもってメディコスという場所がすごく素敵で、受講生の熱量もすごい。取材体験に協力いただいた地域プレイヤーのみなさんも超ユニークで、飛騨牛美味いし、メディコスのスタッフのみなさんも素敵な方ばかりで、あと飛騨牛美味い。すっかり岐阜に惚れてしまいました。


会場となった「ぎふメディアコスモス」。先進的な活動に取り組む図書館などを表彰する「ライブラリー・オブ・ザ・イヤー2022」の最優秀賞にあたる大賞にも選ばれています。

講義でお話ししたことをすこしシェアすると、いちばん伝えたかったのは「伝える」と「伝わる」はちがう、ということ。

なんだ、撮影の技術の話じゃないじゃん!と、聞いてる方は思われたかもしれない。が、この考え方がすごくすごく大事だと思うのだ。

「伝える」は、伝え手のニーズに沿って、情報を届けること。たとえるなら、「冷蔵庫にじゃがいもとにんじんと豚肉があるからカレーにしよう」といったようなもの。

「伝わる」は、受け手のニーズに沿って、情報を届けること。たとえるなら、「カレーが食べたいっていってたから、カレーにしよう」といったようなもの。

僕がプロの編集者・ライター・カメラマンの方々と接する中で、彼ら・彼女らとアマチュアのちがいは、この「伝える」と「伝わる」はちがうということをわかっているかどうかなんじゃないのかな、と思っている。


ある対象のことを記事で紹介するとき、その対象に思い入れがあればあるほど、僕らは「伝える」ことをしたくなる。「このまちは自然豊かで人もあたたかくて最高なんですよ!」と。

だけど、受け手のニーズを考えるとどうだろう。

受け手が誰なのかによるけれど、たとえば東京で移住先を探している人だとしたら、「なんか、どの地域も自然豊かで人があたたかいって言ってるなあ。ほんとうはもっと具体的な、住まいのこととかを聞きたいんだけど」と、感じてるかもしれない。

つまり、情報の届け手の「伝えたいこと」と、受け手の「知りたいこと」のあいだにはおおきなへだたりがある。

そんなへだたりをうまないためには、「伝わる」ということを意識していることが大事だ。受け手は誰で、どんな仕事、どんな暮らしをしていて、どこで情報をえていて、どんな情報をもとめているのか。そうしたことに想いを馳せた上で、受け手のニーズにそうような情報を届ける。ときには、まだ受け手自身も自覚していないニーズをさきまわりして、提案する。

そんな「伝わる」情報の届け方を、プロのライターやカメラマンはしている。

それはあつかうものが言葉でも、写真でも、きっと絵でもおなじことなんだろう。(これはクリエイターとよばれる人のはなしで、アーティストはまた話がちがってくる。そして、超一流のライターやカメラマンも、「受け手のニーズを超えた感動を生む」人はいる。彼ら、彼女らがなぜそんなことができるのかは、またあらためて考えてみたい)

だから、記事で撮影をまかされたときは、自分や取材対象が「伝えたいこと」じゃなく、きちんと読み手に「伝わる」ことを意識して、撮影カットをかんがえ、写真を撮りましょうね、という話をした。

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講座ではレクチャーのあと、あえて写真だけでメッセージを伝える「写真紙芝居ワークショップ」をかんがえ、実施。今後講座の成果となるブログが公開となることになったので、どきどきしながら待っているところ。

今後はこうしたお話しする機会も、すこしずついただけたらいいなあ。機会をいただけて、本当にありがたいです。

またいきたいなー、岐阜。

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