社会人になってから免許を取る奴はあほ、とも言い切れない。①
2018 年 9 月 19 日
この日、私史上最上級の歴史的瞬間を迎えた。
普通自動車第一種運転免許( AT 限定)の取得である。
…………そんな生ぬるい目線を向けてくれるな。
まったく、照れるではないか。
かの超難関(という人もいる)、合格率約 73% の本免許試験を一発合格だ。
このような輝かしい功績をあげた私であるからして、サムネのようなおしゃんなクラシックカーに乗る日も遠くないかもしれない。
かも、しれない。妄想する権利は誰にだってある。
思い返せば、去年の 1 月末のこと。
大学 4 年生の私は、学生最後の定期試験を終え、言いようもない解放感のさなかにいた。
しかしそれと同時に、「もし単位が足りていなかったら…」という恐怖が、体の中でぐるぐるとトグロを巻いていたのも、また確かで。
そいつは絡みついて私を支配した。
あんなにがんばった就活も、周囲からの信頼も、自分の尊厳も、「単位」という 2 文字が
「逃がさんぞ」
とばかりにシュルリリと舌なめずりをしてこっちをみてくるのだ。
(そこまで単位がギリギリというわけではなかったのだが、嫌な妄想というのは膨らむものである)
私は、なんとか安心したかった。
そんな恐ろしい事は起こり得ないのだと。
そんな恐ろしい事が起こるのは、よっぽどの”あほ”だけだと。
そんな恐ろしい事は真っ当な人間には起こらないのだと。
私は、なんとか安心したかった。
そのために出した結論がこうだ。
「そうだ 免許、取ろう。」
……いやいや、ここで離脱しないでくれ。
頼むからめげないで。頼む。
これにはちゃんと、思考の過程※ があるのだ。
人間とは切羽詰まった時には結局逃げるものだ。
なかでも私は、社会の大多数の人間同様、本当にダメな方向に逃げるまでの勇気はない、半端なダメ人間であった。
「え?私はあくまで真っ当な人間だよ。なんたって、大学最後の春休みに教習所にでも通って、有意義な時間を過ごそうとしているんだからさ。こんな真人間にそうそう不幸なんて起こるはずがないわ。そう、これで安心安心。」
こうして、私の自己正当化の出来上がり。
3 分クッキングもびっくりのサクサク展開。
まったく、めんどくさい人間である。
本来なんの関わりもない「単位」への不安を「免許」で埋める。
共通点といえば漢字二文字である点くらいなのに、よくもまあこじつけたものだ。
※さて、ちなみにこの文章は、さらにめんどくささに拍車がかかった数年後の書き手が、当時を振り返って無理くり“思考の過程”だとかなんとかカッコつけて語っているものであり、当時は大して何も考えていなかった事をここに告白する。つまり上記数行分はほぼ無意味である。
さて、とにもかくにも、気づくと私の足は、教習所へと向かっていた。
それが私の地獄の日々の幕開けともしらずに………
《きっと続く》
↓続きました
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ありがとうございます。 書きたい時に、書きたいことを。 これからも日常を切り取って描写していきます。