見出し画像

坂本龍一さんのこと

ひさしぶりに文章を書きます。
文章を書くのは大好きで、昔にブログをしていた頃はわりと頻繁に更新してましたが、SNSがいろいろ増えてきてからは、日々のつぶやきや浮かんだことを即座に発信できることで、まとまった文章がなんとなくうまく書けなくなってしまった気がします。

自分のことを振り返りながら、考えながらまとめていくのは、反射的な発信と受信に慣らされた状況下では、大事なことだなと改めて思う今日この頃。


坂本龍一さんが、この世からいなくなってしまいました。
まだ実感が湧きません。
これを書いている今も、教授のピアノを聴きながらなのですが、聞こえている先には教授の息遣いや指のタッチが生々しく伝わってきて、本当にその場にいまも存在しているかのようです。
作品が後世に残っていく、というのは、こういうことなのかもしれないなあ、と改めて感じながら。

僕が教授を初めて知ったのは、多分中学生のときだった気がします。当時のキーボードマガジンでよく特集が組まれていて、誰だこの人は、くらいの感覚だったと思われます。
当時の僕は、槇原敬之の音楽に魅了されてしまい、魅了されすぎたあまりに直視して聴けないような時期を経て、高校2年のときにようやく落ち着いて向き合えるようになり、貪るようにアルバムを聴き、マッキーが影響を受けたミュージシャンの音楽を深掘りするようになった過程で出会ったのが、YMOであり、坂本龍一さんでありました。
一番最初に聴いた坂本龍一作品は、戦場のメリークリスマス。映画のサントラ版のやつでした。
それだけだと、ああ、いい曲だなあ、な感じだったのですが、度肝を抜かれたのは、その後に聴いたこの曲のピアノアレンジ版でした。いまやこちらの方がよく聞かれるので、これがオリジナル版ではと勘違いされそうですね。
僕が驚いたのは、原曲とは対極にある優美で繊細でクラシカルなアレンジでした。え、何これ?ドビュッシーの音楽のようで、東洋的なにおいもするし、なによりメロディが美しい。
しかも、どちらのアレンジも、どちらがオリジナルなのかわからないような個性があり、この曲を作った坂本龍一とは何者なんだ、と思い始めたのが高校から大学にかけての頃。
クラシック音楽が出発点で、民族音楽にも精通していて、東京藝大で作曲を学んで、スタジオミュージシャンとして活躍しながら、YMOとして活動を始めたことを知り、そうかなるほどと納得したのを憶えています。

わりとそこからアルバムを辿るようになり、「音楽図鑑」と「千のナイフ」は特に好きになりました。
クラシック音楽という肉体にテクノミュージックや民族音楽という衣を纏ったような印象を受けていました。
当時はそう思っていたけど、実はどっちに偏るというでもなく、互いの存在をラジカルに行き来するような音楽なのかなあ、なんて、今は思います。
音楽とはジャンルレスであり、いくらでも自由になり得るし、ジャンルやカテゴリなど、ヒョイと飛び越えてしまえるような存在なのだなと教えてくれたのは、まぎれもなく坂本龍一さんだったと思っています。

僕はピアノ弾きなので、やっぱり教授の音楽の中ではピアノの楽曲群が最も好きです。
セルフカバーアルバムの「/05」を聴いたときは、初めて戦メリのあのピアノを聴いたときの感動が蘇りましたね。
「千のナイフ」にせよ「happyend」にせよ、「tibetan dance」にせよ、もともとの原型はこのピアノアレンジだったのではないか、と思わせるような完成されたアレンジに、ただただため息がでるばかり。

ここ10年ほどは、アンビエントな音楽に向かっていて、なかなか難解だなあ、と思うところもあったのですが、身の回りにあるあらゆる音が音楽になり得る、というか、音楽そのものの概念を揺り動かすようなアプローチに、自分自身も少なからず影響を受けているような気がします。


このライブは結局3回観ました

最後のライブがピアノソロだったのは、まさにBACK TO THE BASICだ、と思っていたのですが、のちのインタビューで、ここに来て新境地と語られたのも、自身の状況について様々な葛藤を抱えながらも音楽家として最後まで追求しておられたのかな、と、想像しています。
あのライブの「東風」は、心底感動した演奏だった。

すばらしい音楽家と同じ時代に生きることができてよかった、と思います。

教授の域には到底及ばないけど、自分も自分自身の音楽に真摯に向き合っていきたいな、と思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?