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贖罪と将来

こんにちは、こけしです。

データ整理をしていたら、大学の卒業間際に書いた文章を発見しました。人に何かを伝えるというよりは、自分が感じたこと・考えたことを都度残しておきたいなと始めたnoteなので、ここに載せちゃおうと思います。

教師の道を選ばなかった教育学部生

進路関連で書き物をする機会をいただき、これまでの自身の考えを整理したいと思いまして。また、これから働く中で辛酸をなめる瞬間も少なからずあることでしょう。そんな時、この文章が初心を思い出すきっかけになればと願い、ここに残すことにしました。要は自分語りです。

「なぜ教師にならないのか」

家族との進路に関する話し合いや就活の面接で、まず説明を求められたことです。
就活を視野に入れたきっかけは、教員採用試験を受けることに対する小さな抵抗感でした。このぼんやりとした気持ちの原因を知りたくて、逆に「なぜこうも強く教師を目指してきたのか」を考えることから始めました。多分、この問いにヒントが詰まってる気がしてて。

「教師にだけはならない」と断言していた私が教師を志すようになった出来事は、今でも鮮明に覚えています。父の死です。

人生を大きく変えた朝

ある朝の、突然の出来事でした。いつもは朝寝坊するのに、あの日だけ早くに目が覚めました。おそらく最期の瞬間に立ち会ったのは私一人。今より遥かに未熟だった自分には、目の前で苦しそうにする父の手を握ることで精一杯でした。結局何をしても助けることはできなかったのかもしれないけれど、あの時に助けられたかもしれないのは私だけだったというのもまた、否定できないわけで。私がもっと冷静になっていれば、違う未来があったかもしれないのに。人生最凶のタラレバです。
言うまでもなく、肉親との死別は相当に辛かったですが、同じくらい苦しかったことがあります。それは、父を見殺しにした罪の意識です。
家族や親戚をはじめ、周囲の人の悲痛な表情を目にする度に、あの時のタラレバが頭をよぎり、無力で何もできなかった自分を呪いました。当時中学生だった私には背負いきれない十字架で、どう償えばいいのだろう、何をすれば許されるのだろうと常々考えていました。

父の教師としての顔を知る

父は教師でした。葬儀には同僚の先生方や関わってきた生徒たち、保護者の方々が本当に、本当に本当にたくさん来てくださって、びっくりしました。教師って、こんなにも人との関わりがあるの?!と。
ついこの間まで担任をしていた生徒から、私が生まれるずっと前に担任していた生徒まで。父宛の手紙やたくさんの人から聞かせていただいたエピソードを通して、教師としての父の顔を初めて知りました。教師という仕事の素晴らしさは、父から間接的にだけど、すごく伝わってきました。
同時に、何だかんだ言って誇りを持っていた仕事が途中で絶たれてしまった父の無念さを想像せずにはいられませんでした。

ここから、パズルのピースが組み合わさっていきます。
父を救えなかった罪への償いとして、地元で家族を支えること。そして、父の意志を継いで、父がこれから関わるはずだった生徒と関わること。
これが、私にできることなのではないかと思うようになったのです。以後、私は教師を目指して、教育学部生になりました。

教職は償いの手段?

いや、待て待て。それが理由なのだとしたら、教職は目的じゃなくて手段じゃないか。それに、教職を償いの手段にするのは、巻き込まれる生徒にあまりにも失礼じゃないか。
ハッと我に帰る時もありましたが、いろんな理由を探して正当化してきました。そんなこんなで教育実習終了まで突っ走ってきてしまいました。それでも教採に対する違和感を覚えたのは、私の心のどこかに自己暗示では塗り隠せないほどの不協和が残っていたからだと思います。

「父は、かつての私の罪を咎めるだろうか。もしかすると、そうかもしれない。でも、過去に縛られて生きるよりは、自分で決めた未来を生きるほうが、父によっぽど胸を張れる。なにより、償いという言葉に逃げて、自分の気持ちから目を背けたら、いつか後悔するのではないか。」
これが、就活することを決めた理由です。

就活を始めた教育学部生の行き着いた先

ここからは、「じゃあ何するの?」の話です。
教育自体への興味は嘘じゃなかったこと、これが幸いです。塾に行かなかった分、学校には本当にお世話になりましたし。

ただ、教育実習で教職の大変さを実感しました。もちろん、楽しいシーンも多々ありましたが、「教員はブラックだ!」と進路変更をする人々の気持ちも分からなくはないなと。
父も多忙な人でした。帰るのは夜遅く、部活動で週末もおらず、たまーに遊びに連れて行ってくれる日がすごく楽しみだったのを覚えています。でも、家族としてはもっと一緒に過ごしたかったなと。
複数の立場から感じた教職の大変さを見なかったことにするのではなく、教育現場のために何かできないかな…と考えた結果、今の選択になりました。
過去の後悔は決して消えないし、何年も遠回りしました。それでも、私なりの夢が見つかってよかったと心から思います。

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