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日光へ向かう⑥二荒山神社 大猷院

※独自のバスガイド台本をまとめたものです。
バスガイドの皆様と共有してみたいと思い投稿しております。
表現や情報の誤り、新しい情報を見つけましたらご指導ご鞭撻ください。

線地図は⑤と同じ。

日光山輪王寺

概要

日光の開祖、勝道上人が深沙大王の助けにより大谷川を渡り創建した天台宗のお寺です。
江戸時代の日光東照宮よりもはるか長い歴史を持っているのです。
本堂である三仏堂(さんぶつどう)をはじめ大猷院霊廟(たいゆういんれいびょう)、慈眼堂(じがんどう)、常行堂(じょうぎょうどう)、中禅寺など十五の支院が輪王寺に所属しております

輪王寺の本堂 <三仏堂>

平安時代に創建された全国でも数少ない天台密教形式のお堂で東日本で最も大きな木造の建物です。
現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍家光公によって建て替えられました。
本堂の中には高さ7.5メートルもある日光三所権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さまと
東照三所権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされています。

「金剛桜」(こんごうざくら)

三仏堂の前に植えられている桜は、推定樹齢500年で、天然記念物に指定されている金剛桜です。

輪王寺大猷院(りんのうじ たいゆういん)

徳川三代将軍 徳川家光公の廟所(びょうしょ)(廟所=墓所)でございます。
こちらも世界遺産に含まれておりますし、22件の国宝、重要文化財が立ち並びます。
東照宮をここまで豪華に創建したのは家光公ですが
【自身の霊廟は東照宮(祖父・家康公)よりも豪華になってはならない。】
と遺言を残されており金と黒を使用した重厚感がありつつも落ち着いた印象の造りになっています。
明治初めの神仏分離の際に日光東照社は、神社となって東照宮になりましたが、大猷院は寺(日光山輪王寺)として存続しました。

建物

建物は東照宮の方向を向いて建てられており家康公への愛を感じさせます。東照宮は 家康公を東照大権現と神様としてお祀りしており“神社”でございますが
こちらは輪王寺という“お寺”の所有で建物も純仏教形式の仏殿造りでございます。


日光二荒山神社 (にっこうふたらさん じんじゃ)

登録上の正式名称は「二荒山神社」ですが宇都宮二荒山神社をはじめ同名の神社があるため日光二荒山神社とする神社で、
こちらに本社、いろは坂をあがり中禅寺湖のほとりに中宮祠(ちゅうぐうし)、御神体となっている男体山山頂に奥宮を構えます。

祭神

二荒山大神とされる 親子3橋柱をお祀りしております。
大己貴命  (おおなむちのみこと)  父
田心姫命  (たごりひめのみこと)  母
味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)子

オオナムチは統治していた葦原中国(あしはらなかつくに)を叔母であるアマテラスに譲り出雲に大きな社を作らせた「国譲り」で有名です。
タゴリヒメはスサノオとアマテラスの誓約でスサノオから生まれた宗像三女神という美人三姉妹の一人。
その息子アジスキタカヒコネは雷の神様です。

本宮

こちら本社の本殿は1619年に徳川二代将軍秀忠公が寄進した当時のものです。
オオナムチは縁結びの神さまとして知られておりこちらも縁結びにご利益があると言われます。

縁結びの木

杉の木に楢の木が“宿り木”している木がありまして
“杉楢一緒”→“好きなら一緒”という事で縁結びのご神木とされております。

夫婦杉、親子杉、さらには樹齢700年以上とされるご神木も見どころです。

日光彫

東照宮、大猷院にて、とても豪華な彫刻のお話をさせていただきました。
三代将軍家光の命により東照宮をこの華美な姿にするために全国から
宮大工、彫刻大工、漆工、金工、絵師など巨匠たちを集められた訳ですが
その数なんと168万人余り!
そのうち彫刻大工は40万人で全体の1/4も占めていたそうです。
絵を寸分の狂いもなくノミ一丁でたたき出す職人たちが仕事の余暇に彫っていたのが名産品の日光彫のはじまりです。

東照宮完成後も職人たちは日光に残り東照宮の補修や整備にあたりました。
その一方でタンスやお盆などの小物を彫りまして日光見物に来た人に売って稼いでいたそうです
それが お土産で人気の日光彫りのはじまりです

よく使われる木

カツラ・ホウの木・トチノキ
1975年までは栃木県産のトチノキを使用していましたがそれ以降はカツラが多くなりました。

作られる物

お盆類・お皿・テーブル

特徴

一般的に日光三角刀を使用し木材に「ひっかき彫」「沈み彫」「浮かし彫」などの技法が用いられます。
模様は植物が多く日光東照宮でも多く描かれているボタンをはじめ菊、さくら、梅、ニッコウキスゲなどが多いです。

実は間違いがあるこの看板、、、


日光・二荒  名前の由来

男体山はかつて ”二荒山”と呼ばれていました。
日光 という名前は 二荒 の読み方 を「フタラ」から「ニコウ」と音読みした
所からと言われております。
二荒山の由来は
観音様が降りたつ伝説の場所と言われる 補陀落山 (ふだらくさん)からとってつけたという説が有力の様です。
また馬返しの辺りの岩壁で春と秋に風神が吹き荒れる。という事から二荒という説もある様です。

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