Kanae Tamiya

歌う。お芝居する。踊る。好きな物は、月、着物、歴史、レトロ文化、野球・・・そんな中で日…

Kanae Tamiya

歌う。お芝居する。踊る。好きな物は、月、着物、歴史、レトロ文化、野球・・・そんな中で日々考えることを自由に綴ってみたいと思います。

最近の記事

大きさ、煌めき、面白さ 〜「スウィングボーイズ」物語3〜

「スウィングボーイズ」。とにかく一番の魅力はボーイズ達のジャズの生演奏なのですが、とにかく常に楽器と共に過ごされていたなぁ、という記憶です。 曲の練習も勿論だし、吹かなくてもとにかく楽器に触れておこうという心からだったのでしょう、きっと。 楽器に触ったことのない方も沢山いらして、初めて稽古場で1曲聴かせていただいた時は、本当に感動しました。 そして改めて見返してみて、ビックリ。 劇中一体何曲あったのかしら?すごい曲数なんですよ。 しかもお芝居しながらの場面もあるし、踊る場面

    • 魅惑との出逢い 〜「スウィングボーイズ」物語2〜

      スタンダードジャズやビックバンドという言葉を知ったのは、「スウィングボーイズ」に出会ってから。 耳にしたことのあるメロディ達、これはそういうジャンルなのかと、世界が広がりました。 遊ぶピアノ、踊るドラム。 サックスの色っぽさに誘われて、 俺様トランペットに手を引かれ、 そっとトロンボーンに支えられる、魅惑の音楽。 「スウィングボーイズ」の劇中の音楽は、ほとんど既成のジャズ音楽で、実はラストはショーになっています。 オーバーチュアでも使われた『Moon Light Sere

      • ジャズを愛するミュージカル 〜「スウィングボーイズ」物語1〜

        確認したいことがあって、ニ幕の映像から見始めました。 オーバーチュアは、生演奏(半分は出演者)の『In the Mood』です。1人部屋で雄叫びを上げてしまいました。 この曲を聴いて、心躍らない人はいないのでは、と思うほど、曲のパワーがすごい。 因みに一幕は『Moon Light Serenade』です。これまた痺れます。 こうして幕が開くのは、私がミュージカル座で一番好きな作品、「スウィングボーイズ」です。 世界大戦中、日本で禁止されたジャズを愛する人達の物語。 こ

        • 読み終えた瞬間は

          歴史が好きなので、読む本は専ら時代小説なのですが、国や時代は拘りないので、割合に幅広く。 しかし2冊連続で日本が舞台の、そして真逆ともいえる世界観を楽しみましたので、記録を。 ただの個人的な記録です、本当に。 「村上海賊の娘」は、 数年前に電車の広告で発見してから、ずっと読みたかったのですが、やっと! とにかく人物の描き分けが見事で。 会話を垣間見ている内に、その人物達をもう昔からずっと知っているような感覚になり、愛おしく、 心の中でツッコミを入れたり、ニヤニヤしたり

        大きさ、煌めき、面白さ 〜「スウィングボーイズ」物語3〜

          想いを声に響かせて

          野球観戦の醍醐味と言えば、 手にしているカップのビールがこぼれる勢いで、ボールの行方に大声で一喜一憂し、展開にドギマギしながら高らかにヒッティングマーチを歌う。 これですよね。 そうだなぁ。 私はやっぱり、ドームよりも、野外の球場が好きです。 その解放感が、野球らしいから。 そして何でも昔からの物が好きなので・・・。 少し前、久々の観戦に行きまして。 メロディだけが流れるヒッティングマーチの中、 無言だけれど、厚い、熱い手拍子で応援する観客の姿に、感極まりました

          想いを声に響かせて

          そこにある

          四方を山に囲まれた、盆地育ち。 ふと見上げればそこには山が、いえ、山並みが当たり前の如く。 そんな風景の中で育ったので、周りに山のない土地での最初の一人暮らしは、なんだかずっと落ち着きませんでした。 今は適度に緑の見える所に住んでいるのですが、 やはり物足りず、季節毎に帰りたくなってしまいます。 とはいえ、久しぶりに帰ると驚いてしまう、 遠くに流れるように連なる、盆地の山並み。 わたしには ”山波” に思えます。 晴れた日には本当に綺麗に隅々まで見え、波打っている様

          そこにある

          紡いで魔法となる

          勇気と友情の冒険物語は、2度目に触れる時、壮大な愛の物語として、生まれ変わっているのです。 かかりました、魔法に。 お好きな方ならもう、お分かりかと思いますが、そうです、読み直したんです、「ハリー・ポッター」シリーズを。全部。 発売当時、子供の読書離れの危機を救ったとされるこの物語。 それはそうだわ、と、初めて読んだ時に納得したものです。 実際、本など読まなかった私の弟が、最終巻の発売日に間に合うよう、予約までするようになったのですから。 6巻までの大きな「振り」

          紡いで魔法となる

          窮屈な時は

          海なし県で育ちましたので、海は少し怖いのです。 海に入ったのは、人生で三度だけ。 それでも、自分が窮屈に感じるような時は、 海の広さと空の遠さが交わる場所に安らぎます。 写真は、先日立ち寄った港の公園。 祖母の家からは割りと近く。 この神戸の海だけは、なぜか怖くない。落ち着く。 潮風も爽やかなのは、山と海が共存しているからでしょうか。 この共存がまた特別な感じがして、好きなのです。 居留地の辺りは、“海岸通り”という住所で、心掴まれるレトロな建築が並び、いつまでも歩い

          窮屈な時は

          ときめく教え

          まだあげそめし前髪の とくれば、 「初恋」だ、島崎藤村だ!と、心ときめく田宮です。 小学校2年生、5年生と、2年お世話になった担任の先生は、本当に素晴らしい教育者でありました。 大人になって、尚更そう思います。 何の授業でも、学ぶことは楽しいことなのだと、教えてくださって。 今でも授業の情景がはっきり浮かびます。 5年生の時は、朝の会の一環として、詩の暗唱をしていました。 ひと月にひと作品。それぞれの時間で覚え、朝は毎日全員で前を向いて暗唱するのです。 そうして知ら

          ときめく教え

          心に導かれて

          体の巡りが良くなるような。 デトックスなのか。 腸活かしら。 歌のステージがあった翌日は、体の内側から調子がいいな、と感じるのです。 この感覚は、ごく最近生まれたもの。 気づかなかったのです。 ガツガツ動いていた去年までは。 心が体を動かしているのですね。 無くしてから気付くのです、大体のことは。 無くし物は、見つからないことの方が多かったけれど、 それは、根気よく、何度も探していなかったからではないかしら。 壊れた物も、そのまま考えもせずに、ただ諦めて捨ててい

          心に導かれて

          曖昧に寄り添う

          ゆっくりと変わっていくものが好きです。 ほんの少しの変化を、自らで気づいていって、行ったり来たりしながら、確信に辿り着くような。 だから季節は、 肌と心で、空の高さや、風の匂いや、草木の色を。 自然のペースに寄り添い、その変化を感じていきたいと思うのです。 8月から9月。 作られた物たちにより、たった1日で、世間の色が全く変わります。 この無理矢理に季節を押し付けられる感覚が、とても苦手です。 夏の終わりと秋の始めが交わる、その曖昧さがたまらないのだけれどなぁ。

          曖昧に寄り添う

          扇子と手拭い

          自宅から駅まで徒歩18分。 歩くのは好きなので、苦にはなりません。 まあそれでも、今の時期、暑いことは暑い。 駅のホームに着くと、ふぅっと一息ついて、汗を拭い、額を扇ぎます。 そして私は毎度思うのです。 やっぱり夏は扇子と手拭いやろ。 私は、この2つのアイテムがあれば暑さも乗り切れる。楽しめる。 扇子の、コンパクトで知恵の詰まったフォルム。 手拭いの、吸収率、速乾性、肌触りの良さ。 そして見た目も涼やか。 あ、それはデザインによるかしら。 そして、持っていると

          扇子と手拭い

          夏の終わりに

          はじめまして。 私なりの、私に似合った発信の仕方を探して、書きはじめてみることにしました。 週に1度のペースで、好きなことを、 考察してみたり、分析してみたり、ただただ愛を語ってみたり。 今まで続けてきた、Twitter、Instagram、ブログは、歌やお芝居活動の宣伝媒体。 こちらは、新たにコラムやエッセイのように、知らない方にも読んでいただけるような、「読み物」を目指して。 蝉の鳴く声が落ち着き始め、蜻蛉の姿が見えてきた、夏の終わりに。 泥の中から綺麗な花を

          夏の終わりに