報われない努力って何になるの?

【概要】
努力って報われないこともあると思う、正直。

そんな報われない努力は無駄だったのか?何のための努力だったんだろうって高校3年生の時考えてた。
でも報われない努力は、きっと誰か周りの人が見てる。そして、その努力でしか得られない信頼と応援がきっとあると思う。
だから、結果には繋がらなくても、何らかの形で残るよって思うし、ある種努力は信頼を勝ち取るためのものでもあるのかもしれない。


以下、本文。


努力って報われないこともあると思う、正直。

同じ努力をしても、全員平等に伸びる訳ではないし、世の中才能の差が存在するのが現実だ
(別に才能の差があるから諦めろ、努力が無駄、結局才能だ、という帰結に持っていきたい訳ではない。)

諦めずに目標を達成するまで、夢を叶えるまで努力をし続けろ、という人もいる。

だけど、現実は精一杯努力しても、結果がついてこなくて、もう締切を過ぎて二度とチャレンジできない、みたいなことがあると思う。


これは僕の実体験に基づいているのだけれど、自己紹介を書きたいなと思ってるからここではざっくり僕の体験を書く。

僕は高校で陸上部で、長距離をやっていた。
陸上を始めたのは中学。
中学はサッカー部だったのだけれど、本当によく走らされた。

おかげで長距離走が速くなり、夏に出た陸上大会3000mで県大会に出場。
高校進学も陸上で推薦のお話をもらい、かなり真剣に進学校と迷う。結局、進学校に入学したけれど、高校生活で一番大事なのは、陸上だった。

プライドもあり、結果を出したいから周りの誰よりも努力する人になろうと決め、部活に打ち込む。サッカー部で県大会行けたんだし、陸上ガチでやったら東海大会とかインターハイとか見えてきたりしないかな、と思ってやっていた。

高校一年の秋冬頃までは、地区でも5000mが速い方だったけど、そこから伸びなくなる。

やれることは一通りやったつもりだった。部活ではメニューが終わった後に、追加で走って体幹トレーニングをやったり、部活が無い日も自主練したりしてた。
自分で本買って調べてプロテインも飲んでアイシングもしっかりやってできるだけ体が回復するようにもしてた。

そこまでしてやった結果、本業の5000mは結局高3まで殆どタイムは縮まらなかった。

最後のレースも一番速い最終組では走れてたけど、結果は振るわず。
その後「なんだったんだろうなー、俺の努力」と傾く日を見ながら考えていた記憶がある。

そんなこんなで僕は高校の部活を引退した。

ただ、報われなかった努力の見返りかなって思うものに3つ出会った。

一つが卒部記念に作られたしおりのQ&Aの解答。
「努力家だと思う人は?」の項目で同期や後輩皆に聞いて結果を集計するのだけれど、9割が僕と解答してくれてた記憶がある。集計を担当してくれた当時の彼女が「圧倒的過ぎて笑っちゃった」みたいなこと言っていた。周りがそうやって評価してくれているのが、形として見えてかなり嬉しかった。

二つ目が、卒部記念に後輩たちがくれた寄せ書き。
一つ目と似ているけれど、「一番の努力家だと思う」とか「尊敬する」ということが書いてあって嬉しかった。

三つ目が、最後のレースで友達や後輩がくれた声援
応援って、集団応援とか、色々あると思うんだけど、ただ応援するんじゃなくて、まじで全力で叫ぶ感じで、声からすような感じで、もはや怒鳴るような感じで、必死に応援してくれた人達がいた。
きつかったけどあの大声のかすれた声援はずっと耳に残ってて、あの声援を思い出す度に色々思い出して今でも泣きたくなる。あんなに応援してもらえて良かったなって思う。

きっとこの三つ全部、あれだけ努力したからもらえたものなのかな、と思ってる。結果としては、報われなかったけれど。
だから、結果に結びつかなくても、その努力・頑張りは見ている人がいて、その人達からの貴重な信頼や応援を得られると僕は思う。

正直、他者から見たら、結果にならない努力って何?って思うかもしれない。当時の僕もそう思ってた。
ただ口先での応援や言葉はまたあっても、人から本気で(多分)信頼され、応援してもらえることって意外とない。
努力を積み重ねるってそういう機会に繋がるのだと思う。

努力が報われなくて苦しんでた過去の僕や、そういう人に届いたらいいなと思って書いてみた。

元々自分の思考の整理のために書いてるnoteだったのだけれど、読んでるって言ってくれる人がぼちぼちいて、最近人に向けて書きたいなってことが増えたかも。

自分のためにもなるし、あわよくば人のためにもなるかもしれないし。

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