デブが復讐するたった一つの方法


クイズ王古川洋平氏のダイエット記事が話題になっていた。


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この変わりようだ。

ド直球の竿役巨漢デブから一転、エロゲ主人公の悪友ポジ的な爽やか系ハンサムへと劇的な変貌を遂げた。

彼は今年37歳。食って寝て息をしているだけで痩せていく若い頃ならさておき、37歳で48kgもの減量を成功させるの並大抵のことではない。

彼は彼自身のたゆまぬ努力によって、それまでの人生で何十年と貼り続けられた「デブ」というレッテルを自らの手で剥がすことに成功した。

筆者自身、幼少期から今の今までにかけてデブの名を欲しいままにしてきたから分かることだが、デブの人生はそこそこに過酷だ。エピソードになるほど劇的でもないが、大人になってケロっと忘れられるほど生易しくもないくらいの辛さがある。



デブ・幼少期編

デブの地獄はここから始まる。ちょうどこの頃は子供達が「デブ」と言う言葉を覚え始める頃なので、子供たちは「デブ」と言う言葉を使いたくて仕方がない。

そこで標的になるのがデブである。子供たちはそのコミュニティ内でデブを見つけると、親の仇のように「デブ」という単語を連発する。


デブにはできないことが多い。特に幼少期の遊びの数々、例えば鬼ごっこやドッヂボールなどの類で、デブは苦戦を強いられる。

デブは体が重くて早く走れない。デブは喰らい判定が大きいのですぐ相手のボールに当たってしまう。デブは細い隘路を通れない。デブは鉄棒が苦手。デブは、デブは、デブは。


こうして、数々の遊びでデブが無様に負けている姿を見た周りは、デブをナメ始める。デブ=ザコという価値観が子供達の中で形成されていく。


結果、チームスポーツでクソ程ハブられる。


デブはドッヂボールでどのチームからも欲しがられないし、鬼ごっこでは一生鬼をやらされる。

特に鬼ごっこなんかはハメに近く、鬼が交代したあとのクールタイムが短いルールだと、鬼デブがやっとの思いでタッチして他の子供たちに鬼を渡せたとしても、即刻鬼を返されてしまう。そしてそこからは、日が暮れるまでデブの鬼が続く。

周りはそんなデブの惨めな有様を更に嘲笑する。遊びに入れてもらえないだけで済むならまだしも、弱者のレッテルを貼られたデブに対する嫌がらせが、時にはエスカレートすることもある。子供たちはまだ純粋で動物的な部分を多く残しているので、弱者に対する当たりがクッソ強い。そのため、デブはよく弱者狩りの標的になる。



デブ・学生時代編

デブはとにかくモテない。デブ=ザコの価値観を引き継いで中学・高校に進学した周囲の人間の中で、「デブはナメてもOK」という不文の常識がデブ以外の中で共有され、結果としてデブは強烈な疎外感と相対する事になる。

同性からは親の仇のようにイジられ、異性からは蛇蝎の如くモテない。


ただ、デブも幼少期をただ呆然と過ごしていた訳ではない。デブイジりに晒され続けたことで、デブであることをイジられることに耐性が付いている。自分に向けられたデブイジりを自虐で笑いに変える者、爪弾きにされたデブで徒党を組む者、痩せる者。三者三様の生存戦略を取る。ちなみに筆者はというと、爪弾きにされたデブ達で徒党を組んでいた。


間違って共学に進んでしまったデブの末路は、それはもう惨憺たるものである。

男女共学校は競争社会の縮図だ。男性は女性からの目線を、女性は男性からの目線をそれぞれ気にしながら人間関係を作っていく。「コイツと友達だと思われると恥ずかしい」、そんな理屈がフィクション抜きで横行する世界だ。

否が応にでも異性の目線に晒され、望む望まないに関係なく恋愛市場への参画を強制させられる。


自分はどうせ異性と話すことなどないからと割り切ってみても、学校生活のふとしたタイミングで「アイツだけは恋愛対象になりえないでしょ(笑)」と、異性から向けられた残酷な陰口と嘲笑の声が耳に入る。

そんな生活が中学・高校の6年間を通して続いていく。どんなに明るいデブでも、6年も異性の嘲笑を浴びていたら気付いた頃には自己肯定感はガリガリに削られ、スッカリ歪み切った異性への認知とひねくれた性格だけが残る。筆者はこの経験から、高校時代2chの女叩きスレに常駐していた過去がある。



こうしてわかるように、デブは生まれてから大人になるまで。ずっと地獄だ。

人間の体型は可逆的だが、人格の方はそうも行かない。どれだけデブが大人になってから痩せて格好良くなろうとも、人格形成期にボロボロにされてしまった自尊心は元には戻らない。心がどうしようもなくデブになってしまったのだ。 



男の自信はどこから来るか?

さて、古川氏の話題に話を戻す。10ヶ月で48kgもの大減量を成し遂げた彼の変化を見てみよう。

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ご覧の通りのデブである。太っていて、肌が荒れていて、メガネ。いわゆる世に言う弱者男性の風貌だ。(僕は弱者男性と言う言葉が嫌いだが、女性から見た弱者男性のパブリックイメージはきっとこうなんでしょう?)


現在の姿はどうだろうか。

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髪の毛をオレンジ色に染め、眉毛もきれいに整えられている。服装も何のことはないただのタートルネックセーターだが、凄く似合っているように感じる。表情からは自信が溢れ、活力を感じる。


彼はダイエットをしたことで美意識も高まったと、インタビューで語っている。

古川 目標だったマイナス48キロを達成した日に、メガネをコンタクトに、髪をオレンジ色に変えました。人にもよるでしょうけど、すごく太っているとファッションを筆頭にあきらめてしまうものが多いんです。

それを取り戻したというか、自分が死ぬまで味わうことがないであろうと考えてきた選択肢が急に増えちゃったわけです。


古川 周りから「眉毛こうしてみたら?」というような提案をもらうことも増えています。今までは太っていることが一番の特徴だったから、僕自身、自分の眉毛になんか注目しなかったわけですよね。

痩せたことで、「じゃあ、眉を整えてみるか」とか「肌を保湿してみるか」とか、これまでできたはずなのにしてこなかったことにも挑戦するきっかけになったなと。


よく、デブの非モテに対して、『少しは身だしなみを整える努力をしてくれませんか』と、女性の方々から手痛い指摘がなされることがある。彼女らは何もわかっていない。「デブの非モテを好きになる努力をしてくれませんか?」と新橋で飲んでる女に説教するようなモノだ。身嗜みを整えることにも、最低限の自己肯定感や自尊心は必要なのだ。



デブは服に気を遣おうと、髪を染めようと、眉毛を整えようと第一印象はデブでしかない。話していて不快なデブか、そうでないデブか、その程度の印象しか持たれない。

そしてデブ自身が、そのことを過去の経験から骨身に染みて理解している。

身嗜みに気を使うことへの成功体験が皆無だから、『モテたいなら身嗜みに気を遣ってください』だなんて物言いは、デブからすれば『モテたいなら3回回ってワンと吠えてみなさい』と言っているようなものだ。

上手く行かないと分かりきっていることに、デブは時間を使わない。デブは賢い。

古川氏は目標体重に到達したその日に髪を染めに行ったそうだ。痛快だっただろう。今まで諦めていた服、髪色、アクセサリー。ゴミ溜めに見えていたZARAが宝の山に見えたに違いない。


彼が目標体重に達した後に行った身嗜みの数々は、別にデブであってもできることだ。

「自分はデブなので、惨めである」という歪んだ自意識から、彼自信がそれを遠ざけていたに過ぎない。

しかし、その歪んだ自意識を取り払うことがこの上なく難しい。大人になるまでに経験した数々の誹謗・中傷・デブいじめが、デブの自己肯定感を叩き潰し、呪いのようにデブの人生を束縛する。

彼は太った自分からの決別を以って、その呪いをついぞ自分の力で振り払い、身嗜みの自由を手に入れた。


負けるなデブ

デブを取り巻く環境は上述した通り過酷そのものだが、その状況は社会に出ると一変する。

どう変わるか。周りがどんどんデブになるのだ。会社なんかは社員のほとんどがでデブで構成されていて、デブが仕切ってデブの社員を動かして経済活動をしている。一緒に社会人になった同期も、皆寄る年波に逆えずデブになる。

高校時代にモテまくっていたクラスのギャルは、自分の二の腕が醜くたるんでいくのをただ指を咥えて見ていることしかできないし、いけすかなかったサッカー部のエースは、ビール腹でYシャツをパンパンにしていく。

人のことをデブだなんだ揶揄してきた分際で、いざ自分が太ったら「年齢が年齢だからしょうがない」みたいな顔して、いけしゃあしゃあと、当たり前のように太るのである。自分がデブであることを恥だと思っていない。自分はデブのことを散々傷付けてきた癖に。本当に許せない。


デブからしたら悔しい話だが、世間はそういうものだから仕方がない。皆無邪気にデブのことを傷付けて、無邪気に太るだけで、デブの性格を歪ませたことについては誰も責任を取らない。

だから、デブが惨めな自意識と決別し、デブの呪いから解き放たれ、自己肯定を勝ち取るためには、もう自分自身の力で痩せるしかないのだ。

痩せて、好きな服を着て、自分にデブの呪いをかけた人々を見返すことでしか、デブの復讐は果たされないのである。


「デブで惨めな自分」と決別するには、もう痩せるしかないのである。







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