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「高円寺」が足りていない



「まっちゃん(松本人志さん)ですら、

いなくたって芸能界回ってるんだよ?

大丈夫に決まってるじゃん」

姉に一撃された。


3日前、休職することになった私は

荷物をまとめて実家に帰ることにした。

途中、姉の家に寄って

休職に至るまでの経緯を話した後

昼ごはんをご馳走になった。

どんな話をしても

「あのお客さんは大丈夫かなぁ」

「3月の忙しい時に休職することになっちゃったな」なんて

結局は仕事の話ばかりになってしまう。

姉の言葉で、

「あぁ、そうだよなぁ。組織ってそうだよなぁ

自分を過信しすぎだ」なんて思いながら

カレーを食べた。

2個上の姉は現在育休中

1歳になる姪っ子と優しそうな旦那さんを見てると

「もう!!私はなんで結婚できないの!!!」と

婚活中に荒れ狂ってた姉が

これだけ穏やかになれた結婚の威力はなかなか凄い。

自分軸でしっかり生きている姉は昔から憧れだ。

小学生の頃、姉の学年ではイジメが横行していた。

いじめっ子から誘われたイジメの輪は

キッパリと断るくせに

その後に姉がイジメの標的になることはなかった。

それどころか、「〇〇の妹?いい姉持ったね」と

なぜか姉のクラスのいじめっ子達から

姉に対するお褒めの声を掛けられることが多かった。

姉とは日頃から頻繁に連絡を取り合う仲だが

困った時には1番頼りになるので

こういう時はつくづく姉妹に生まれてよかった

と再認識してしまう。


明日から会社にしばらく行かなくていいんだと思うと

新卒以来の1ヶ月休みに開放感が溢れたが

また時間が経つと

なんだかソワソワしながら

この先どうするんだろなんて思いながら

1日目は過ぎた。


翌日、親友と高円寺で待ち合わせをした。

私たちが高円寺で出会ったのは

もうかれこれ15年以上前の話。

学生時代は3日に1回は高円寺で

お茶をしては、ご飯を食べて、またお茶をした。


パル商店街のサンマルクは

私たちにとっては思い出の場所だ。

中学生の頃は、同じ高校に行くのを夢みて勉強した場所
(結局、別々の高校に通ったのだが)


高校生の時は、お互いの彼氏や

好きな人とこのサンマルクでデートをした。

今は高円寺からは離れた所に住んでいる私たち。

中間で会える場所も変わってきたが、

久しぶりに高円寺の街を楽しんだ。

最後はお決まりのサンマルクへ。

なんだかこの場所だけは

何年経ってもいつ来ても変わらなくて

過去の思い出達と一緒に

また張っていた何かが

じんわり溶かされる気持ちになる。


「次の仕事どうしようかな、何ができるんだろ」

時折後ろ向きになる私を

「新卒で9年間も大手で働いたんだし、

絶対大丈夫だから」と慰めてくれた。


自分の心の声に耳を貸さずに

人に流され、無理をし続けた結果が

今回の休職に繋がったような気がしていた。

2月に異動でいなくなった同期からは

「もっと自分を大事にしてね」と言われ

最初は意味が分からなかったが

徐々にその意味が分かってきた。

自分のことを1番に考えて行動するという作業が

思いのほか難しい。

沢山の意見に飲まれ

気付くと自分がどうしたいのかすら

見えなくなっていた。

9年間で身につけた社会性も

バランスが崩れると

自分さえ崩れかける。

そんなことすら、ここまで気付かず

自分を置いてきぼりにしてきたのかと思うと

なんだか情けなくなっていた。

「これからはもっと自分が主人公でいるように

きちんと伝えることは伝える人生を生きるよ」と

告げた後、友人を見たらなんだか顔が笑っている。

「あ、ごめん。

私にはどんな時でもコユキは

主人公の人生を生きているように思えたけど」

笑笑笑笑笑笑笑笑


帰り道、高円寺駅に向かう途中

いつも通り、路上ライブをする人

いつも通り、ギターを抱える人

いつも通り、個性的な集団


「ねぇ、なんか、私...

最近、高円寺が足りていなかったような気がする」

ぽつり呟くと


「うん、私もそんな気がする」

風が冷たいけれど、横から聞こえる共感が

社会の中の孤独から遠ざけてくれた。


「また高円寺こようね」


恋人や好きな人

幾度もバイバイを繰り返した高円寺のホームが

昨日はちっとも寂しくなかった。

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