自分の見つけ方
※ ニコニコブロマガからお引越し掲載。
ずっと追いかけていた夢が、ある日突然、夢でも何でもなかったと気がつく瞬間がある。
"私は、周りの期待に応えようとしていただけ。
社会的地位を獲得しなければと思っていただけ。
これは、本来の私が求めていたものじゃない"
そう気がついても、打つ手がない。
「では、どうしたいのか?」
それが見えないと、目標だけを見失ってしまってただ呆然と立ち止まるしかなくなる。
これまでの自分が
前向きであればあるほど、
努力家であればあるほど、
何もしないで停滞している自分が嫌になる。
宙ぶらりんの状態をとても恐ろしく感じる。
それで自己啓発本なんかを読んで
自分探しのテストなんかもやってみるんだけど
そこで投げかけられる質問に答えられない。
例えば「自己主張をする事が苦手ですか?」という質問。
自分では「よくあてはまる」に○をしたい。
でも、人から「さすがはDJ! 自己主張が強い人がほとんどですからね~」なんて言われた事を思い出して、答えは「あてはまらない」にすべきなのかなぁと、悩んでしまう。
「人から物を頼まれるとなかなかノーと言えないですか?」
という質問には、「全くあてはまらない」に○をしたい。
無理な頼まれ事は、はっきり断らなければ後でお互いが困る事になるから、私ははっきりノーと言う事を心がけている・・・つもり。
だけど考えてみると、友達に「あんたは情が厚すぎるの。何でノーって言わないの?」とよく怒られている。
その度に「だって、何だか困ってるみたいだったし・・・」なんて返事をしている自分を思い出すと、「私はノーと言えないタイプなのかなぁ」という気もしてくる。
「イライラしやすい方ですか?」なんて質問はもっと難しい。
一週間のうち、何日イライラする日があれば「イエス」なの??
いや、一日に何時間かで考えるべきかな??
職場の女性と比べると私はイライラしない方だと思うけど、彼と比べたら、明らかにイライラしてるグループに入れられるよね。
あ~~、テストで余計自分を見失う~~~!?
結局比較する対象がいなければ、私は「前向きな方か」「積極的なタイプか」「怒りっぽい方か」なんて、わからないものなんだよね。
人間というのは「充実」じゃなくて「欠落」して初めて存在するものなのかも。
何と言うか、宇宙からたっくさんのものをそぎ落としたら
「私」という1人の人間になる、みたいな。
上手く言えないけど、自分がどういう人なのか知ろうと思ったら、自分自身を見つめるんじゃなくて、環境の方こそを見るべきなんじゃないかって。
ジクソーパスルと同じなんだよね。
バラバラになったワン・ピースをどれだけじっと見つめても何だかよくわからないけど、そこに別のピースがつながると、どんな絵柄の何なのかが見えてくる。
数が増えれば増えるほど、その姿はどんどん明確になる。
「私」というピースを知ろうと思ったら、人と繋がらなくてはいけないんだな~~。
そんな風に思う。
そしていっぱいいっぱい色んな人と繋がって、大きなパズルが出来上がったら、何かのきっかけで自分のピースがポロリとはずれてしまっても、もう私は自分自身の姿を見失ったりしないと思う。
ワン・ピースが抜けていても、まわりのピースがそろっていれば、抜け落ちた空間に描かれているものは簡単に想像できる。
私という存在は、私以外の周りに目を向けた時に、初めてくっきりと浮かび上がるものなんだろう。
これは10年前の日記から。
私はずっと、こんなことを考えながら生きているんだなぁ。
進歩なし。
と、思えるけど、らせん階段なのだ。
景色はよく似ていても、少しだけ昇っている。はず。
2013-10-16
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