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自分の撮りたい写真は撮らない

写真を撮るときに大事なことは
自分を挟まない、ということ。

自分という存在は必要だけど

そこに“自我”を持ち込むことは
調和を妨げることになる。



自分の撮りたい写真は撮らない。

自我を持ち込めば、
途端に調和が崩れ

写し出された写真は
撮り手の“自我”が乗った
押し付けがましい写真となる。


わたしが大事にしているのは
その写真をみたときに
その世界に入り込める余白がある、ということ。



自然でも
モノでも
アートでも

“美しい”ものには心が動かされると同時に
そこに言葉を必要とせず
目の前の対象物と“ひとつ”になれる余白がある。



「これは、こういうものです。」
「これは、こうなんです。」とか、そういった

入り口と出口が限定されていて、
一方通行かつ、見方や捉え方の押し付けがあるものは
不自由がゆえに、息が詰まってしまう。


世界観があり

惹きつけられる“何か”があり

独特の空氣感があって

その世界に入り込むかのような感覚があって
からだが解放される感覚になる。

そういったものに
わたしは惹かれるのだ。


頭で、言葉で、情報で
目の前の対象物を識別するような
左脳的な捉え方は表面的で、浅はかだ。


写真でも
言葉でも
アートでも

余白や“揺らぎ”といった
目にはみえない、感性で捉えられる世界。

日本人的感性を刺激する“ものごと”が
わたしは好きだ。


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