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目に見えているものが“すべて”という幻想

わたしたち、一人一人の存在も 
こうして発信で届けている言葉も
わたしが撮る作品も

そのすべてが
膨大なエネルギーによって生み出されている。 


どれも、機械的に
インスタントに生み出されたものではなく 

それが生み出された背景には
様々な経験や、ひとの支え、ご縁、
ご先祖様や守護霊様、大自然や宇宙、
八百万の神様の働きがあってのこと。 

モノゴトを表面的にしか汲み取れないひとには
その背景を感じ取ることができないだろう。 


本来、誰しもが

目に見えない存在や、
“つながり”を感じられる感覚や感性を

当たり前のようにもっていたのに
文明の発達にともない、
からだを使わなくなったことによる弊害で
からだの感覚、感性が退化してしまっている。 


物質的には豊かになったことは
誰しもが、疑うことのない事実だろう。 

しかしながら、
物質の豊かさと精神の豊かさはイコールではない。 

もし、そうであるならば、
こんなにも自殺者が増加の一途を辿る
世の中にはなっていないし
精神的に病む人が増えることはなかっただろう。


わたしたちが、どれだけの“つながり”の中で
生かされ、活かされているのか。 

そのことを、少しでも感じることができたなら
自然と感謝の想いが湧き上がってくるだろう。 



目に見えているものが“すべて”ではない。 

その水面下には、目には見えない膨大な世界が
目に見えているものを支えている。


目に見えているものが“すべて”だという
成果主義や結果主義ほど 

世の中をおかしくし、
不幸になるひとを増やすものはない。 


本当に大事なものは
目には見えないところにあるのだから。


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