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008.炭治郎の心の透明さよ



今日の私は大変使い物にならなかった。
最近は呑んだ次の日は頭痛が酷くて、何かをしては横になり、何かをしては横になるを繰り返した。


昼過ぎにはちょっと長い昼寝をしたんだけど、次女(新小2)のベッドで昼寝しているとき、あまりにも居心地が良くてドラえもんの気持ちがなんだかわかってしまって可笑しかった。
二段ベッドの下に寝る次女のベッドは天井が低くて、わたしの布団を日中は次女の布団と重ねて仕舞っているのでさらに狭くなる。そこがなんとも言えない安息の空間を生み出すのです。

結局頭痛が治らず夕方頭痛薬を飲んでやっと復活したけれど、今日はグダグダしよう。ラーメンをテイクアウトしてグダグダ食べて、今は鬼滅見ながら書いています。



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わたしのkokoroという名前は本名じゃないのですが、ちょうどnoteを始めた2年前に長女(新小5)の友達が海外に転校してしまって、その女の子の名前がこころちゃんという名前だったのと、私が自分の心のままに生きられることを強く思っていることからkokoroにしました。(ほとんどはこころちゃんの名前の影響。笑)


心のままに生きるって、簡単なようで全然簡単じゃないように思います。いくらでも自分がこうしたいと思ったことと違うことができてしまうのです。できるだけそうするようにしていける努力をしていればしているほど、自分以外の人と話しをすると心のままに生きられていないんだろうなと感じることが増えました。それくらい、簡単なようで難しいことなのだと思います。そして、自分が生きようとしているテーマがわかっていないと、そこにフォーカスしていないと、全然見えないことなのだなあと思います。

生きるテーマや、どこに重きをおくかが定まると、そこの場所が急に透明に見えてくることがあります。今まで見えなかったことが急に見えてきて、捉えることができるようになってくる。修行中にだんだん掴んでくる感じと似ているのかな。でもまだまだ足りなすぎるくらい足りないので、一生これは自分のテーマなのです。一生心の声を聴きつづけながら、ブレないように微調整しながら。




ギリギリセーフ。





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