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クッキーフリマおじさんみたいな人が文学を不良債権にしてんじゃねえの?

ジェンダーバイアスの加齢臭がキツすぎて鼻が曲がりそう。かけまくもコスパの悪い椅子に座ってらっしゃる老害の大神たちが一刻も早くお隠れあそばしますよう畏み畏み申す。

煽りここまで。

エコ出版と文学フリマ

Amazonにて、祖父の自伝『昭和十二年十一月、東京』を上梓しました。「このくらい」までなら、やろうと思えば誰でもできちゃうなと思いました。

大手版元に頼らない「じぶん出版」。どこまで出来てどこからは出来ないのかを実感する、とても良い経験を得られたと思います。

非常にエコな方法でしたが、これは従来型の商業刊行物と競い合うタイプの成果物ではありません。札束の厚みがオトナの腕力です。
しかし事実として、従来型のリッチな分業サイクルを裾野を広げて回しきれるほど、出版の市場規模は潤沢ではありません。
プロフェッショナリズムへの矜持と商業的な持続可能性はわけて考えるべきではないでしょうか。

「文学フリマ」も、これに似た思想から始まっていました。(応募してから知った)

文学は不良債権なのか

文壇の人たちの長文殴り合いって面白いのでたまに読むんですけどね。

文学フリマ発起人、大塚英志さんの書かれた檄文不良債権としての『文学』が文学フリマ公式サイトに残されています。
大塚氏はこの中で、文学を「聖域」とせず、既得権を否定すること等を語っています。純文学の商業的な自立のために、具体的に提案されているのが以下の3つ。

(1)出版社のコストダウン
(2)作家の自己責任による出版制度の導入
(3)文芸出版の読者への解放

オンデマンド出版と文学フリマが相性良いのもさもありなん、ってカンジです。っていうかこのイズムを見ると、文壇に加わりたい人は文フリ参加しないほうが良いような……

ここで提案されている「開かれた出版」はオンデマンドで可能です。檄文では「1000部50万円」と書かれていたけれど、Amazonのエコシステムは無負担での出版を可能にしてしまいました。
現在、この選択肢を選ぶと、取次や編集・校正など、従来構造の中にいるプロの手を離れることになります。しかし、市場が成長すれば「個人から依頼を請けるフリーの編集・校正」という仕事も出てくるかもしれません。

ボトルネックは書籍の単価でしょう。オンデマンド出版は、従来型の(大金が動く)出版プロジェクトと比べて「一冊あたりのコスパ」はとんでもなく悪いのです。
しかし、コスパのために肥大化した構造に加わることが全てではありません。パーソナルな手段で小さく出版サイクルを回すという方法も、スモールビジネスとして成立しうると思います。
ミンネやイイチがロールモデル。商業には乗らない、未成熟でもトガった作品が世に出る場所になるのではないでしょうか。

改善すべき点はまだ多いし、これが最高とも限りません。でも、本が生き残る道として、有効な選択肢になっていると思います。

白馬の王子様をアテにせず、自分の力で生きる覚悟みたいなものがあれば、出来ることはとても多いのです。私は白馬の王子様ではありませんが、先導の騎士くらいにはなれます。皆のものフォロミー。

文壇とフリマ

文学フリマは「既存の文壇を否定するものではない」と明言しています。しかし、文壇が本当に「既得権に守られた聖域」であれば、あらゆる古典文化に共通する分断がここでも起きているのかもしれません。

たとえば、昨今流行りの、ミシン縫製の安価なニット着物やデニム着物。あれは、いわゆる「着物警察」から見れば「あんなもん着物じゃねえよ」な代物です。
しかし、着物はもともと日用品だったはず。いま大量の税金を投入されて永らえている着物文化は、日用品とは別のものです。しかも、潤っているのは織元だけ。末端の織子は専業で食っていくこともできないのに、それが「当たり前、そういうもの」と誰もが思っている……文学にも似たような面は無いでしょうか?

着物はもともと生活に寄り添う生活の必需品だったし、本は人に寄り添う文化の必需品です。「モノを書いて発表する」という文化を大衆の手に。(着物文化ではテクノロジーの進化が間に合わなかったけれど、)エコシステムと即売イベントが、それを可能にしました。

つぎの更新は開催後、たぶん連載最終回!売れた数とか文フリの様子とかをぜーーーんぶ晒します!1冊も売れてなかったらコケにしてくれよな!!!!!(こっわ!!!!!)


投稿日 2019.05.02
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です


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