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【夏の庭 The Friends】真夏のむっとする草いきれを感じる和製スタンドバイミー

少年を惹きつける「人の死」

小学校高学年から中学生くらいにかけて、人の死に強く惹かれる年代というのがある。
大人たちから「子供が知るべきではない」とされて隠されてきたもの、性や死の問題が隠しきれなくなってきて、実は身近なものだったと気付く頃の話だ。

親に用意された環境が自分の成長を阻害しはじめる時。
親から与えられてきたもので生きることに、心が抵抗し始める時。

その時、心は「性」と「死」に向かう。
本作は「死」の物語だ。

「死んでるように生きているなら死ねばいいのに」

登場する少年たち3人の家庭は、どこかしらに破綻をきたしている。

離婚した夫が暮らす家庭への対抗心によって厳しく育てられていたり、両親が別室でひっそり言い争いをしていて、お母さんがお酒を飲むようになったことに気付いていたりする。

些細だが致命的な欠陥を抱えたまま、決定打のない状態の「居心地の悪い家庭」に頼らないと生きていけない少年たちは、
ただ諾々と命を消費し、日常を送って、もうすぐ死ぬであろう独居老人を観察することにする。
生きることの辛さを理解し始めた子供が、生きることを諦めた老人に興味を示すのは当然なのかもしれない。

そこから小さな奇跡が起きる。老人は子供から注目されることで社会との繋がりを取り戻し、少年たちは老人を通して家庭と学校以外の社会を知るのだ。
そして少年は成長し、老人は死んだ。
「夏休み」という期間に合わせて時間が止まり、夏休みの終わりと同時に、また流れだしたかのように感じる。

老人と子供だけの世界が成り立つには

この物語は機能不全を起こした社会に踏み潰された弱者が生んだ、一瞬の奇跡なのだと思う。大人の弱さ、社会の理不尽さに折れない子供と老人の、奇跡の物語だ。
大人の立場でこれを読むのは、正直ちょっとキツイ。奇跡の輪から排された、自分の不甲斐なさのようなものすら感じるのだ。

さて昨今の福祉政策は
・老人の面倒は子供が看ろ
・子供は老人に預けろ
という方針を国が推したくて仕方ないのがひしひしと感じられる。
要は介護も子育てもしたくない威張り屋のマッチョジジイが(自分の弱さに無自覚なまま)好き放題言っているだけなのだが、政治を動かす人がそんなのしかいないと、実際そういう方向に生活が捻じ曲げられていくものなのだなあと肌が泡立つ思いでいる。

(しみじみ)大人の役目ってなんだろう(洗濯物を干しながら)

人をただ群れさせておいても、大人の弱さから生み出された社会の理不尽が、孤独な子供と老人を量産するだけなのだと思う。
大人として、こんな孤独を放置してはいけないのだろう。

よって私は今日も息子とお風呂に入り、今日あったことを聞いて、夫にビールをすすめ、連休は実家に顔を出すのである。
子供にとっては空気のような「当たり前の日常」を、結構いろんな思いをしながら必死で保っているのである。
まあ、それでも子供には伝わらないのだろうな。
それでいいんだけどね。


投稿日 2016.05.12
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です

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