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『大造じいさんと癌』作ってみた【真面目系?】【3分ほどで読める】

 子どものころ、私は近所の、とあるおじいさんががんくなったと聞いた。その方は「大造じいさん」と呼ばれていた。歳は80歳ほどだったが、元気に笑顔であいさつをしていて、当時は本当に癌をわずらっているのかと周りの大人から言われていたらしい。
 そんな大造じいさんは独り暮らしで、身の回りの家事などを自分でこなしているとのことだった。どのような癌であったのか、またどのような病状だったのかは覚えていない。それでも、癌は治りにくく、人を死に至らしめるくらいのことは子どもの私でも理解していた。そんな大造じいさんと話をする機会があった。 

―――

 ある日、母が私におつかいを頼んできた。大造じいさんの家でイノシシの肉を買ってきてほしいとのことだった。私は、ためらった。癌という病気をよく知らなかったため、感染するたぐいのものだと思っていた。しかし、母の教えによって感染しないと知り、しぶしぶおつかいに行くことになった。
 大造じいさんの家に着いて、扉をたたいた。大造じいさんが笑顔で迎え入れてくれた。
「何の用だい。」
「おかあがイノシシの肉買ってきてって」
「そうか。座ってな。」
「はーい。」
私は元気そうな大造じいさんを見て、驚いた。ウワサの通り、本当に元気そうなのだ。いや、元気じゃないのは分かるのに、元気そうなのだ。手や足、顔はやせ細って、骨が浮き出ている。声はかすれてうまく聞き取れない。その動きのゆったりさと静かさが死に近づいている様子を私の肌に感じさせていた。それでも無理をして、訪れた客のために力いっぱい、心配させないように動いていると感じたのだ。この人はどうしてこんなに元気に動いているのだろうと不思議に思った。子供だった私は、不思議に思ったことを素直に聞いていた。
「大造じいさん、なんでそんなに元気なの?病気なんじゃないの?」
大造じいさんの作業をしている背中が一瞬止まった。
「うーむ。」
大造じいさんは作業をしながら話をしてくれた。
 
昔、がんという鳥を狩っていた時があった。その時にとても賢く、勇ましい雁に出会った。血だらけになって、死に直面してもなお、絶望することなく最後まで生き抜こうとしていた。大造じいさんはその姿に感動し、魅了みりょうされた。今、自分は不治ふぢの病である「がん」になった。その言葉を聞くと、自然とあの勇ましい「がん」が思い起こされる。癌になっても、死に近づいたとしても、雁のように最後まで生を全うしたい。生き抜きたい。私はそう思っている。
 
だいたいそんなことを話していたと思う。かすれた声でうまく聞きとれない部分もあった。もしかしたら私の記憶が都合よく変えてしまっている部分もあるかもしれない。なぜなら、大造じいさんが、病を受け入れるどころか、気持ちで打ち勝っていたように映っていたからだ。大人になった今の私でも、あんなに年を取ってもかっこいいと思える大人に未だに会ったことがない。
 

―――


そんなことがあったから、私にとっては、「大造じいさんと雁」ではなく、「大造じいさんと癌」なのである。
 

ちなみに『大造じいさんとガン(雁)』の物語が気になったら、下の紹介らんからクリックして、ぜひ読んでみてほしい。
 
 
べべべべべべ別に利益を意識しているわけじゃななななな無いんだからね。(震え声)



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