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Vol.6-1 1年間アメリカ留学

Vol.6-1では、アメリカに一年間留学された、M.K.さんの体験談(前半)をお届けします。


留学の場所・期間は

場所は、おっきく言うとアメリカで、期間は約1年です。
アメリカのイリノイ州っていうところに 10か月、学校の1年度。最初の1ヶ月と最後の1ヶ月は、アメリカのオレゴン州っていう場所にいました。

最初の1か月は、(エージェントの)プログラムで、他の日本人の人と、簡単な英語とか、アメリカの生活になれようみたいなのがあって。
そこでのホストファミリーとすごい仲良くなったので、帰る前に来ない?みたいな。
じゃあ、1か月いっかな、みたいな感じで帰ったったのが最後の一か月です。
最後の一か月はロードトリップをしました。オレゴン出発してカリフォルニア行って、 カリフォルニアの隣がネバダ州って言って、ラスベガスがあるとこなんで、カリフォルニア行ってラスベガス行って、オレゴンに戻ってくるっていう。

留学に興味を持った理由は

1番最初は、お母さんがアメリカの高校に1年間留学して、アメリカの大学にいたので、身近なものだったからです。
お母さんの妹とかも留学してたり、すごい家族からの理解が元々あって、こういうのもあるんだよっていうのを小っちゃい頃から聞いてたので、「あ、私もやってみたいな」って、すごい自然に思うようになりました。

アメリカを選んだ具体的な理由はそんなに無いんですけど、家族もアメリカ行ってたのと、なんかもう、アメリカって、世界の中心みたいな考えがあったからです。なんでもあるし、代表的なので。アクセントとかも。アメリカの英語が、広く使われてるかなと思って。

国について

行ってた場所があれだったかもしれないですけど、アメリカはいろんな人種がいて、みたいなのを聞いてて。でも、自分がいたのは田舎だったから、逆にほんとに95、98%は白人さんみたいな。もう多様性もクソもないようなところにいて、全然日本の学校の方が多様性あるんじゃないかなぐらいのところにいました。
みんながイメージするニューヨークとか、LAとかとは全然違うから、 アメリカにも田舎ってあるんだみたいな、そういう感じでした。自分思ってたのとは違ったけど、でも、話聞いてた通り、人々はみんなフレンドリーだし、楽しかったなって思います。

行っていた場所について

町の人口で言うと1900人。みんなの言う田舎留学の想像を超えてくる田舎留学でした。ほんとにもう、そこらへんの田舎留学ではないです。
 
ちっちゃい世界で、みんながみんなを知ってるみたいな。
あの人はこの子のいとことか。学校の先生も、誰々さんのお母さんとかも全然ありました。
留学生はドイツの子とタイの子がいて3人でした。
 
一生トウモロコシ畑で、カウボーイさんがめちゃくちゃいるような感じでした。
ガチもんのカウボーイみたいなのがいて。カーボーイの靴とベルトみたいな格好で学校来る子がいました、カウボーイハットまでは被ってないけど。
道にも馬がいるから気を付けてみたいな感じの標識があって。スポーツの一環で馬やってる子もいっぱいいるから、ほんとにカウボーイ、カウガールっていう感じです。



スーパー行くのは車で20分かかりました。
もともと小っちゃいスーパーが町にあったんですけど、私がいる間に潰れちゃって。
だからウォルマートに行っていたんですけど、ウォルマートに行くのも行きだけで20分、25分。しかも距離でいうと多分もっと遠くて。
田舎過ぎて、交通量も少ないから、それで(飛ばして)20分だけど、多分日本の交通量だと全然もっとかかるみたいな。

選んだ経緯は

場所選ぶ権利が与えられてなかったです。一応、追加料金を出せば選べたんですけど、あー、いいやと思って。
私のお母さんも、田舎留学だったから、なんか田舎留学も将来なんか役に立つよって言われてて、じゃあ別になんでもいいやと思ったら、 案の定田舎留学になりました。 

留学前の準備(言語)

留学のプログラムに参加してたから、エージェント側が、毎週毎週宿題を課してくるのがあって。英語の準備っていうよりかは、アメリカの通貨、お金について学んだりとか、文化とか、基礎知識的なことを学びました。
 
あと、英語のテスト(ELTiS)は一応クリアしなきゃいけなくて。
そんな難しくないです。IELTSとかTOEFLの高校生バージョンみたいな。アメリカの高校に留学したい海外の子が受ける英語のテストでした。ほんとに簡単だから、何もしないでマジでいけます。

荷物について

荷物は大きいスーツケース1個とボストンバックみたいなので行ったんですけど、足りなくなって。最初の1か月でもう入らなくなりました。ボストンバックは大体お土産とかでなくなるかなと思ったら、意外と足りなくて。
それで、オレゴンで1個貰いました。1個できたはずなのに、2個で重量オーバーして帰ってきました。

服はあんまり持ってかなかったです。
行った当時が夏だったから、夏から冬の間に買えばいいかなっていうので、冬服もあんま持っていかなくて。
いろんな人に、服はマジで持ってかなくていいよっていうアドバイスをもらったので、あんまり持っていきませんでした。

現地でのプログラムについて

授業みたいなのなんだけど、英語そのものについてはあんま勉強しなくて。
これは1セントだよとか、そういうのをやったり。
あとは、町のダウンタウンに行くみたいな短いフィールドワークがいっぱいあって。それで実際に、どうやって注文するのかとか、アメリカはチップ文化があるから、チップはこんくらい払うんだよとかを学んだり。
あと、アメリカの憲法、 法律について、ちょっとやりましたね。(憲法の)歴史みたいな。
 
授業ごとに違くて、ひたすら自己紹介したりとかもしたし。ダンスもしたし、水風船を投げあうみたいなのもしました。結構楽しかったです。

着いてすぐ学校よりかは、1ヶ月で、アメリカっていう国にもなれたし、結構よかったかなと思います。イリノイ州の町にいっても戸惑いはなかったかな。
まあ、町とそのときいた町が違いすぎて、ギャップはありましたけど。

学校について

普通の公立校です。
アメリカの高校は、4年制。日本でいう中3から高3までなんですけど、生徒は合わせて200人。一学年 50人でした。
で、キンダーガーデン(幼稚園)から高校まで全部建物が一緒でした。一応別れてるけど、全部同じ建物にあって、全然繋がってました。
 
学校での勉強/生活
私が行っていた学校は、ブラックデーとレッドデーがあって、それが、交互にくる時間割で。ブラックデー、レッドデー、ブラックデー、レッドデーってありました。
授業終わったら、バスケ行ったり。で、バスケがない時は、そのまま帰って、みたいな日々を繰り返していました。
 
授業は、教科を自分で選べて。ブラックデーもレッドデーも授業が4つずつあるので、合計8科目選べて。
私は、めっちゃ副教科を受けていました。

私は、必修がイングリッシュと体育で。あと、留学生は全員、U.S.ヒストリー、アメリカの歴史をやらなきゃいけなかったので、 それは必須で受けてて。
他はもうほんとに自由でした。(日本の)学校が何もリクエストしてこないから、自分が取りたいのをひたすらとったっていう感じです。

数学は、アルジブラ(代数学)とジオメトリー(幾何学)とかがあって。私は、計算だけだから、数学の中でもアルジブラを取って。
あとは、インフルエンシャルピーポー。要するに、何か影響を与えた人っていうのがあって。普通の歴史は、出来事とかにフォーカスしていくんだけど、インフレンシャルピーポーは、時代を変えたような人にフォーカスした授業でした。

あとは、家庭科。家庭科も家事とか裁縫とかに細かく分かれていて。
私はお料理だけ、お料理とか、栄養素だけのを取りました。
 
あとは、音楽もコーラスとバンドがあって、コーラスを取っていて、アート、美術も取っていました。
 
授業は聞く感じが、意外と多かったです。でも、やっぱり生徒が自由で、日本人みたいにしっかり聞いて座るみたいなことができない人が多いから、意見は飛び交ってたかもしれないです。
 
私の高校は、授業が4つ終わったら、50分ぐらい、自分のホームルームの教室行って、自習、宿題していいですよの時間がありました。
でも、クラス(ホームルーム)っていうよりかは、学年っていう意識が強かったです。25年に卒業だから、class of 2025みたいな。クラス対抗とかはなくて、学年対抗で、class of 2025って書いたやつとかを着てました。

部活について

部活はシーズンごとに分かれていて、私はバスケをやっていました。
バスケのシーズンは10月ぐらいからで、負けたら終わりでした。私のチームが結構強くて勝ち進んだので、2月ぐらいまであったって感じです。
 
結構ハードで、平日は毎日練習だし、練習とは別にウェットリフティングも週2回強制でした。すっごいガチでやっていて、試合とか見させてもらえたりとかして、すごい楽しかったですね。メンバーは、意外と多くて、18人ぐらいはいました。
 
日本の学校で練習試合ってなると、土曜か日曜にある感じなんですけど、アメリカの学校では、教会に行くから、日曜日は絶対練習がなくて。だから、土曜日に試合があることも、練習があることもあったし、平日の学校が終わった後に、練習試合とかも普通にありました。 夜の7時から10時とかだったので、それが結構ハードでした。
みんなでスクールバス出してもらって、スクールバスに乗って行くから、6時半とかから始まって。長いから、終わって帰ってきたら、もう10時、10時半とかもざらにありました。
 
大会とかだと行くのに車で2時間半ぐらいかかったりするので、午後の授業出なくていいよとか、バスケの子だけ免除みたいになるので、そこはいい感じでした。 

宿題など

宿題は結構毎日あったんですけど、大きな課題が出ることあんまりなくて。
毎日、教科書のここからここをやってきてねとか、 教科書のここからここ読んできてね。で、Googleフォームみたいなのに答えを入れて、点数が出てきて、それが直接成績に繋がる。みたいな感じでした。だから毎日成績の動きが見えました
 
日本の学校だと、学期の最後に成績表が配られて初めて自分の成績を知るけど、アメリカだと毎日毎日、タイムリーに更新されていく。この課題はここが悪かったから、あ、もっと頑張んなきゃなとか、モチベーション上がるから、私はそこは好きでした。

ホームステイについて

最初と最後の1か月と、残りの10ヶ月、二つあったから、結構違くて。
 
最初の1か月は、お母さん、お父さん、子供4人でした。あと、犬と猫がいて、すごい楽しくて。
子供4人なんですけど、上の2人は私と同い年ぐらいで、下は小学生ぐらいで、離れていて。
アメリカでありがちなのが、離婚、再婚なんです。アメリカは、結構、複雑なお家とかが多いから、そこもそういう感じで。その家は、結構都市部だったし、普通のアメリカっていう感じでした。

お父さんのお父さんが、米軍で、日本の基地にいたので、お父さんも日本にちょっと住んでいて。だから日本っていう国にちょっと興味があるおうちでした。
めっちゃ仲良くなって、帰っておいでって言われましたし、しかも多分私が大学生になる夏休みに、日本来るらしいです。
本当は、留学のエージェントに、お話したらダメ。 次のホストファミリーと仲良くなるために、半年ぐらいはあんまり連絡控えてって言われてたので、あんまりしてなかったんですけど、全然仲良くて。もうすごい良いお家でした。
 
で、残りの10か月のお家は、お母さん、お父さん、5年生の妹と1年生の妹って感じで、 めっちゃ可愛かったです。
特徴としては、大家族。その数だけだと大家族に感じないけど、お家があって、ちょっと小さめの池があって、(その向こうに)おじいちゃんおばあちゃんが住んでいて。
歩いていける距離におじいちゃん、おばあちゃんが住んでるから、よく遊びに行っていて。で、ひいおばあちゃんとかもいたので、めちゃくちゃ大家族でした。

生活スタイルは、ほんとに田舎で、狩りめっちゃして。って感じの家でした。
自給自足しようと思えばいけると思います。目の前牧場だし、ご近所さんが養鶏場でした。
だからご近所さんが旅行とか行ったら、私たちがそこ行って、毎日卵をもらって帰って、みたいなことをしてました。
 
生活スタイルが合わないっていう問題はちょっとありました。
ホストファミリー、田舎の人なんで、早寝早起きなんですよ。
朝3時半起床とかで、7時とか6時とかにはベッド行っちゃうみたいな感じだから、朝方とかのレベルじゃなかったです。
7時ぐらいに起きて、学校行くときは、バス乗らなきゃだから、6時ぐらいに起きて。それで、10時、11時まで起きてるのが、私の生活スタイルだったけど、(ホストファミリーが)寝ちゃうからすることなかったです。

続きはVol.6-2へ。


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