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コロナになるとポカリは苦い

コロナになった。

同棲している彼氏がまず38℃を超える熱をだした。
4日前からなんとなくこれは感染るだろうなあとは思っていた。

しかし、コロナを持ち込み私の体内へと届けた当の本人は私がうなされ始めた日にはすっかり回復していたのだ。

私は少しイラッとした。

が、喉の痛みですっかり枯れてしまった声と衰弱した身体ではこちらも喧嘩を売ったり、相手を詰ったりすることすらできなかった。

しかし仕事から帰宅した彼はいつもと違って献身的だった。

ポカリスウェットとゼリーとアイスを買って、私にあたたかい肉うどんをつくって食べさせてくれた。

それは、関西人のつくる薄味のおいしいあたたかいおうどんだった。
地元で食べ馴染んだお味噌が出汁の、味の濃いおうどんとはまったく違う。
めんつゆとほんだしでつくられたおうどんはネットで調べて作ったらしい。

これに私はとても気に入った。

関東から関西へ移住して未だ三ヶ月しか経っていない。
関西こっちにきて不安で仕方なかった私が、欲した人のあたたかさを意地でも差し出さなかった彼は今日、こんなにも簡単に差し出してきたのだ。

「なんだよ、お前できんなら早くさしだせよ」

と思うよりも人のあたたかさにようやく触れることのできた安堵のベクトルがそれよりも勝り、私は身体が重いだとか喉が痛いだとかの体の不調をすっかり忘れさり無心でおうどんを平らげることに夢中になった。

からっぽになった丼をみた彼は、「食欲はあるんだ」と満足気に頷き、丼を台へと持ち帰った。




遠足の次の日はきまって体調を崩す私を看病するため、母が仕事を休んでくれたのを思い出した。
おでこの熱を計る、大きいけど細くて優しい母の手が好きだった。
ポカリスウェットをプラスチックのコップにいれ、蓋がわりにアルミホイルをつかう。
そしてそこに穴を開けてストローをさす。
あの、謎の簡易タンブラーのことも思い出した。


今回私は看病されて思ったことがある。
この看病される優しさを知っている人だけが人にそれを返せるのだ。

わたしも彼も発熱したときに無条件にやさしさを得れることをしっている。

だから、無条件のやさしさが貰えることを当たり前としている節がある。

それも、私が4日前、彼が発熱した時にねだられたポカリスウェットを今すぐ買いに行くことを渋ったことにある。

起きたての私は、洗濯機を回したことくらいしか人間としてやるべきことをやっていなかった。

「ポカリを買ってきて」

に対してすぐには反応できなかった。

ここで発熱した彼が欲したのはポカリスウェット以上にポカリスウェットを今すぐ買いに走る私だったのだ。

関西に来てからというもの、常に緊張感に苛まれ余裕がなかったと思う。

常に自立した女性でありなさいと小さい頃からいわれていた一言に必要以上に縛られていた自分もいたと思う。

人へむけた無条件のやさしさを分ける余裕はなく、人にどう思われるかばかり気にした3ヶ月だったと思う。

彼は、心底失望していたし私も人からもらうことばかりを求める彼を詰った。

コロナになった日、関西でひとのあたたかさにはじめて触れたと前述した。

ちがう。

わたしは、きっと関西にきて、ひとから十分にあたたかさをわけられていたのだと思う。

けど、それに気づけない、気づかなかった、余裕がなかったのだ。

コロナになった日、やっと分かりやすい優しさによって人の優しさに気づくことができた。



人は誰しも自分が知らない感情に対してはうまく対応できない。

私はここで、言わずもがな相手の感情をわかるべく相手と同じ環境に身をおいたり同じ経験をする必要は一切必要ないと思っている。

相手の気持ちを想像する想像力こそ必要になってくるのだ。

100%わかる必要はない。
というか、わかるはずないのだ。

優しさとはその100%わかるはずのない答えをみつけようとするその行動にあるのではないだろうか。

自宅療養中、喉と全身の筋肉痛に苦しみながらもこんなことをぼんやりと思ったのだ。

ume
2000年生まれ。今年4月、社会人3年目に突入。
金融機関に2年間従事後、退職。紆余曲折あり関西へ移住することに。
好きな音楽はサウスロンドン系。
カフェで作業しているフリをしています。
いずれはエッセイで連載をもてるようになりたい。


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