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【100年前の「なろう小説」⁉】伝説的奇書『教皇ハドリアヌス七世』がついに邦訳!

編集部(昂)です。
鈍器・奇書製造に定評ある弊社から、またしても恐るべき奇書が刊行されました。
その名は『教皇ハドリアヌス七世』
この奇妙な題名の小説の作者は、「コルヴォー男爵」というこれまた奇妙で怪しげな名の人物。

『教皇ハドリアヌス七世』とはいかなる書物なのか?
「コルヴォー男爵」とは果たしていったい何者なのか?
そして、「100年前のなろう小説」とは一体どういうことなのか?

これより、100年の時を経て令和に翻訳召喚された恐るべき奇書の正体と、その秘密を明かします。


【奇書】『教皇ハドリアヌス七世』とはどんな作品か?

まず、あらすじを簡単に。

屋根裏部屋で一匹の猫とともに暮らす売れない中年作家のジョージ。
聖職者を志すも夢破れた彼のもとに、ある日突然、枢機卿が訪れる。
「あなたが教会での将来を断たれたのは誤りでした」
念願の神父となったジョージが、観光気分で教会選挙に沸くローマへ行くと、知らぬ間に教皇に選出されていた!
「ハドリアヌス七世」を自称したジョージは、型破りな〈宗教改革〉に乗り出し、謀略渦巻く教皇庁と国際政治を舞台に、大波乱を巻き起こす……

きわめて荒唐無稽な筋書きのこの小説の原書初版の刊行は1904年。
今からなんと、100年以上前に書かれたもの。

「元聖職者志望の冴えない男が、ある日突然ローマ教皇に成り上がる」

弊社HPにも掲載した紹介文が、すでに一部でも話題になっておりますが、まさにいわば、令和の時代に翻訳刊行された「100年前のなろう小説」とも呼ぶべき作品なのです。

本書のさわりを、もう少しだけ詳しくご紹介します。

教会組織から過去の不遇な扱いに対する誤りが認められ、念願の神父となったジョージ。
彼が物見遊山のごとくローマを訪れたとき、まさに教皇庁は、教皇選挙(コンクラーベ)のまっただ中でした。
ローマで行われる教皇選挙は、選挙権を持つ枢機卿たちの投票によって行われます。
派閥争いによって票が割れ続け、幾度も再投票が行われていたにもかかわらず、決着がつかずに紛糾していました。

そんなところにふいに現れたジョージは、偶然にコンクラーベでの推薦を得て、あれよあれよという間に、消去法的に票を集めてしまい、教皇に選ばれてしまうのです。

「神父さま、枢機卿団はあなたを聖ペテロの後継者に選出しました。教皇の権能をお受けになりますか?」
「受け入れます」
「御名はどうなされますか」
「ハドリアヌス七世」

選挙が行われた広間が騒然とする中、教皇に選ばれた元冴えない作家のジョージは、ローマ教皇「ハドリアヌス七世」を名乗り、すぐさま〈宗教改革〉に乗り出します。
まず手始めに、数十年ものあいだ塞がれていた、街に向かった教皇庁の窓を開け放つよう、周囲の人間に命じます。

「わが子よ、窓を開けなさい」

そして、バチカンの街に向けて、世界に向けて、祝福の言葉を高らかに述べます。

「主は天と地とを造られた。全能なる神が、☩☩☩父が、☩☩☩子が、☩☩☩聖霊が、あなた方を祝福せんことを」

運命のいたずらを受け入れ、己が理想の教皇として振る舞うことを決めたハドリアヌス七世。
彼がその後進めていく宗教改革は、旧習を打破し、無駄を省き、不正を糾し、信者の人々に対して慈愛に満ちた振る舞いを示す、というものでした。まさしく、閉ざされていた教皇庁の窓を開き、世界へ新しい風を吹かせる改革を行うのです。

そしてハドリアヌス七世は、教皇庁内の改革のみならず、国際政治の舞台でも八面六臂の大活躍を示します。
本作の時代設定は、書かれた頃とおおよそ同時代、情勢不安定な時代。
冒頭では、教皇になる前の主人公ジョージが、ロシアで起こる不穏な騒擾状態を取り上げた新聞記事を熟読する様子が描かれています。
教皇になったのちは、(当時実在する)某国皇帝と面会をして意気投合、熱く握手を交わし合い、その家族とも親しく付き合うなど、外交課題の解決にも活躍します。

しかし、教皇庁には、そんなポッと出の教皇である彼のことを快く思わない者たちがおり、水面下でハドリアヌス七世を陥れる陰謀と策略が渦巻いていたのでした……

この後もハドリアヌス七世は、まさに「なろう小説」の主人公のごとく教皇の権能をフルに活かして「無双」を続けるのですが、この物語の最後には、じつに驚くべき結末が待ち受けているのです。

そんな本書『教皇ハドリアヌス七世』、実はただの奇書でも、ただの元祖・なろう小説でもありません
澁澤龍彦、生田耕作、丸谷才一、D・H・ロレンス、グレアム・グリーン……この錚々たる作家・文学者たちが密かに注目・絶賛していた、知られざる「異形の英国世紀末作家」の代表作でもあるのです。

そんな本書の作者、コルヴォー男爵についてご紹介します。

【奇人】作者「コルヴォー男爵」とは何者か?

教皇ハドリアヌス七世』作者の「コルヴォー男爵」。
実は本物の男爵ではなく「自称男爵」で、以下のような経歴の持ち主です。

コルヴォー男爵 こと フレデリック・ロルフ(Frederick William Rolfe, 1860-1913)
ロンドン生れ。十代で学校教師として働き始める。カトリックに改宗し、聖職者になることを望みつつ、なかなか決心することができなかった。二十代後半になってようやく神学校に入学するが、奇行を理由に放校処分となる。その後、チェザリーニ公爵夫人の養子となったことを宣言し、コルヴォー男爵を名乗り始める。現代風にいえばフリーランスの作家として活動したが、成功は限られたものであった。また金銭問題などから知人のほぼ全員と疎遠となり、最後はヴェネツィアで無一物で没している。
 生前から一部の読者の関心を集めはしたものの、没後はすぐに忘れ去られたロルフであったが、1934年に出版されたシモンズの優れた伝記によりその作品の評価は急上昇する。
『教皇ハドリアヌス七世』がその代表であるところの「幻想的自伝小説」ともいうべきロルフの方法は、今日ではロナルド・ファーバンクやグレアム・グリーンにも影響を与えたと考えられており、またその言語観はジェイムズ・ジョイスに重なる部分もあると評されている。

神学校時代のロルフの写真

元聖職者志望、奇行を理由とした放校処分、自称男爵、金銭問題多数あり、死後の再評価、後世の文学への影響大……などなど、この短いプロフィールで、もうすでに情報過多なこの人物。
コルヴォー男爵ことフレデリック・ロルフは、日本では、英文学者の河村錠一郎さんの紹介で、「知る人ぞ知る存在」となっていました。
雑誌『海』に連載されて界隈で話題になり、のちに二度単行本化された『コルヴォー男爵』という河村さんの手になる伝記と、英国本国でも伝記文学の名著とされるA・J・A・シモンズの伝記『コルヴォーを探して』(同訳・早川書房)が日本では著名です。今回推薦文を掲載した澁澤龍彦をはじめ、丸谷才一、生田耕作といった錚々たる面々も注目しておりました。

そして上で紹介したエピソードはごくごく一部。教会付きの絵師としても活動していたものの多大な制作料を踏み倒されたり、実は元々カトリックではなくプロテスタントの家に生まれていたり、文筆活動場所としてビアズリーの『イエロー・ブック』で『トト物語』という作品を連載していたり、晩年にヴェニスで男娼のポン引きをしていたり……などなど、非常に混沌とした生涯を送った世紀末の奇人でした。
(ご興味の向きには、上記の伝記もおすすめします)
 
そうした彼の代表作であるところの『教皇ハドリアヌス七世』は、グレアム・グリーンに「天才の作品」、D・H・ロレンスに「魔人の書」などと大激賞されました。
 破天荒な筋立てとは裏腹に端正な構成、古語や造語をふんだんに鏤めた文体上の清新さなど、モダニズムの系譜に連なる革新的な文学的技巧を、彼ら同業者は高く評価していたのです。
 ですが、その後、コルヴォーがヴェニスで窮死するのは先に記した通り。
この作品がコルヴォーの名声を真に確乎たるものとしたのは、ゴッホにおける絵画の如く、その死後のことでした。

コルヴォーの死から四半世紀後。A・J・Aシモンズによる伝記『コルヴォーを探して』(1934)が大評判を呼び、ロルフの再評価が進みました。
そして1964年、英国の名門ペーパーバック「ペンギン・ブックス」のラインナップに、『教皇ハドリアヌス七世』が加えられたのです。
以来、現在に至るまで版を重ね、ついに2014年のガーディアン紙では「最高の英語小説100冊」にまで選ばれました。
 
コルヴォーの作品は、同性愛体験を赤裸々につづった書簡集『ヴェネツィアからの誘惑』(河村錠一郎訳・白水社)や、須永朝彦さんによる短い訳詩の紹介(新書館『泰西少年愛読本』所収)などがありましたが、その代表作であるところの『教皇ハドリアヌス七世』は、これまでなぜか翻訳されておらず、密かに翻訳が待ち望まれ続けておりました。
 そしてこのたび、満を持しての邦訳と相成りました。


 
執筆当時、「若い頃の夢だった聖職者になることを諦めきれず、四十代になって再受験したものの落第、ついに夢破れ挫折した売れない中年作家の男」であったコルヴォー男爵。
 『教皇ハドリアヌス七世』は、コルヴォー自身が、己の数奇の半生を投影した「自伝」のなかに、「幻想」(というよりも、夢と狂気とルサンチマンを孕んだ壮大な妄想)を織り交ぜ、たしかな筆力のもとに一巻の壮大で迫真的な物語に仕立て上げたことにより、のちに文学の裏面史に残るに至りました。 
作中のハドリアヌス七世は、教皇庁をより善い場にしようと奮闘する、清廉で真面目な人物として描かれています。
もしかしたら、借金まみれで破滅的な実生活を送った作者コルヴォーが、ついぞ成しえなかった自らの聖職者としての理想像を投影しているのかもしれません。
「究極理想の自己投影」「最強の無双」を魂の底から描き切ったという点で、まさに翻作は「なろう小説」の先駆者である、とも言えるのではと思います。
序盤、壮麗な教皇庁でのコンクラーベから叙任に至るまでの瞬間の場面などは、ディテールの描写が細密画のように絢爛で美しくリアリティに満ちていて、読んでいて震えが来るほどの興奮があります。
「自伝的幻想小説」の「幻想」の要素は、荒唐無稽な筋立ての物語を描き切る確かな強度の筆力にも現れているように思います。
ぜひお手に取って、この長らく邦訳が待望された「幻の奇書」にして、恐ろしいほど完璧で究極の「教皇なろう小説」を味わって下さい。

【推薦文】澁澤龍彦&河村錠一郎さんによるオビ推薦文紹介

近年の弊社新刊に、白玉楼中の人である澁澤さんから、なぜ未だに推薦文が届き続けているのか? という疑問を抱かれている方もいらっしゃるようですが、これはもちろん国書刊行会ならではの魔術的技法(引用)によるものです。

「コルヴォー男爵は、ワイルドやビアズレー、ユイスマンスなどと同じ時代の空気を呼吸していたまぎれもない世紀末文学者のひとりであろう」

『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』

河村錠一郎さんからは、本書のために特別に「栞エッセイ」をいただきました。

「文学の森には驚くほど美しい宝石が隠れている。見る人によっては、それはただの石ころにすぎず、見落とされる。あなたが星であり太陽であれば、石は天空の光をそれぞれに放つ。コルヴォー男爵ことフレデリック・ロルフの作品はまさにそれだ。」

本書「栞エッセイ」より一部引用

エッセイ入りの栞は、紙の書籍にのみ封入されております。

【今澁澤】訳者「大野露井」さんについて

『教皇ハドリアヌス七世』の訳者の大野露井(おおの ろせい)さんについてご紹介します。

大野露井氏

大野さんは1983年生まれ。
気鋭の幻想異端文学の紹介者として、弊社ではジャック・ダデルスワル゠フェルサン『リリアン卿』の翻訳を上梓、モーリス・サックス『魔宴』、チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』の翻訳を彩流社で手掛けています。まもなく弊社で刊行となる吉田健一論集『吉田健一に就て』にも寄稿。さらには創業50周年記念冊子『私が選ぶ国書刊行会の3冊』にもエッセイをお寄せいただいています。
日本文学の教員として法政大学で教鞭をとられ、本名の大野ロベルト名義で、浩瀚な紀貫之の研究書や土方巽の研究書なども上梓しておられて、翻訳・創作・研究に至るまで幅広く活躍されています。こなれていて読みやすく、同時に、古雅な香り漂う豊富な語彙で織りなされた日本語の美しさが際立っているところが、大野さんの訳文の個性と特徴です。
『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』で読売文学賞を受賞した作家の川本直さんが言うところの、「今澁澤」という二つ名が相応しい、多彩な仕事を手掛ける、大注目の訳者です。

【金×黒】装幀と口絵について

黒々と漆黒に、そして金色に輝く装幀は、話題書『仮面物語』『高原英理恐怖譚集成』を手掛けた、久留一郎さんによるデザインです。
カバーは黒い特色インキを二度刷りして、通常の黒1色の印刷では表現できない黒さをもった漆黒に。
その上でさらに、金の特色、箔押しの金、グロスPP加工を加え、輝くばかりの光沢を得た本書の装幀には、抜群の存在感があります。

原書表紙

カバーには、教会で画家の仕事もしていた、コルヴォー自身の手による原書装画を再現。教皇ハドリアヌス七世の姿と、その愛猫フラヴィオ、そして蟹座と月のシンボルが描かれています。

そしてカバーをめくった表紙も金。表と裏は、黒で原題を十字架のようにあしらっています。金の用紙にPP加工を張って強度を確保しつつ、存在感を出すなどの制作上の工夫をしております。

美麗な装幀の紙の本がおすすめですが、便利な電子版も近日発売予定ですので、電子派の方は、もう少しだけお待ちくださいませ。

ということで、ぜひ、「幻の奇書」にして「100年前のなろう小説」である本書『教皇ハドリアヌス七世』を、お手に取ってご覧いただけましたら幸いです。

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教皇ハドリアヌス七世
コルヴォー男爵 著/大野露井 訳

A5判・436 頁
ISBN978-4-336-07518-5
定価4,950円 (本体価格4,500円)

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