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【無】氣比大社の主祭神の正体

氣比大社(敦賀)の主祭神であるイザサワケが誰であるか教えて欲しい、というコメントをYouTubeでもらいました。

何も知らなかったのですが、サニワメソッドで探ってみました。
今回はその結果を共有したいと思います。

イザサワケは実在した人物で、それは安寧天皇でした。
自著『 真相追究 蘇我氏と古代日本 』で明かしていますが、安寧天皇がいたのは会津でした。
記紀では大和国にいたことになっていますが、彼は一度も大和国足を踏み入れたことはありません。

では、なぜ会津にいた安寧天皇が福井県敦賀の神社で主祭神として祀られているのか、という疑問が湧きます。
探った結果は以下でした。

当時の敦賀はまだ港町のように人が集まる場所となっておらず、羅津との連絡がなされるような土地でもなかったようです。
この後の羅津との往来も見据え、敦賀を港集落ににする計画がなされたようです。

そこで、敦賀に山口県平生町(田布施の東)辺りにいたウバイドと倭人を敦賀に連れて来ることにしたようです。
しかし、こういう温暖な瀬戸内で生活をしている人々を、日本海側で冬は寒い敦賀で生活させるには困難です。

敦賀で生活できるようにするために、会津にいた安寧天皇が会津の山々で狩ることができる猪から毛皮ととり、それを敦賀に届けたのです。
毛皮を得る方法は当時会津辺りにいた縄文人が熟知していたので、豊富に毛皮を届けることができました。

こうして防寒着を得られるメドがついたので、瀬戸内から敦賀に移民させます。
敦賀の発展の基礎を築いたのが安寧天皇であるので、敦賀の主祭神として祀られるようになったということのようです。

会津から阿賀川(阿賀野川)を通じて日本海に出て、そこから南下して敦賀に向かいます。
猪の毛皮と燻製にした猪の肉が会津側の主な交易品で、敦賀は一帯で獲れる海産物が交易品となり、両地の関係が続いたようです。


以上となります。
ありがとうございます。

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